「包まれること」
包まれること。
具が皮に包まれる。
それはギョウザ、それは肉まんあんまん中華まん。
具が皮に包まれる。
抱きしめるように丁寧に。ねっとりしっとりぴったりと。
そこに生まれるのは熱。
そこにあるのは美味。
包まれること。
それは、優しいおいしさ。
人が人に包まれる。
そこに生まれるのは愛。
そこにあるのは嫌悪感。
包まれること。
それは不思議なこと。
「包まれること」
包まれること。
具が皮に包まれる。
それはギョウザ、それは肉まんあんまん中華まん。
具が皮に包まれる。
抱きしめるように丁寧に。ねっとりしっとりぴったりと。
そこに生まれるのは熱。
そこにあるのは美味。
包まれること。
それは、優しいおいしさ。
人が人に包まれる。
そこに生まれるのは愛。
そこにあるのは嫌悪感。
包まれること。
それは不思議なこと。
おはこんにちばんわ。ちょっとブルーな気分の虚*心*猫です。
今回は、私がふと思いついてしまったことについて話します。
それは
「自分自身」について「自分」はどれほど理解出来ているのだろう。
ということ。
うん。そうです。
ちょっと哲学的なことを話したいと思います。
久しぶりに面倒くさい私でお送りしますので、うざいと思ったら怒ってもらって大丈夫です。
ごめんなさいね。
さて。さてさて。
私は日常的に、「どうしてこれはこれというのだろう」という感じであらゆるものに疑問を抱いて生きています。
例えば・・・
朝、目が覚める。
学校に向かうために、まず朝ご飯を食べて歯を磨いて身支度をする。
そして学校の授業の準備をして学校に向かう。
こんな日常の中でも
「どうして、私は目が覚めたのだろう。」
「なぜ、目が覚めたことを当たり前のように思っているのだろう」
「学校に行くのはなぜだろう」
などと、ふとした瞬間に考えてしまうんですよねぇ。
なぜ目が覚めるのか・・・私が病気でなく至って健康体であること、十分な睡眠をとったこと、それが人間の習慣であること。
学校に行くこと・・・私の学びたい学問について自発的に知識と経験を学んだり、人間関係を構築したり、社会性を学んだり。
説明しようとすれば、言葉にすることは出来ると思うのです。
しかし、私がふとした瞬間に感じている疑問はそんなことではないのです。たぶん。
どうして、それをそう考えたのか。そう理由づけたのはなぜか。
答えのない問いであるとは思っているのですが、ついつい考えてしまうのです。
そして、こうやってどんどん疑問点を挙げて思考していくとたどり着いてしまう問い。
「どうして私は“わたし”という人間であるのだろう。」
「なぜわたしは“地球”に生まれてこの土地に立ち、動き、話し、見聞きし、歳を重ねて死んでゆくのだろう。」
もう、ここまでくると。私の友人たちはさじを投げます。
だって、うざいでしょ?楽しくおしゃべりしていたと思ったら唐突にこんなこと考え始めるんですもの。
でも。でもね?
私にとってはとても不思議なことなのです。
そして私はどうしてみんな「今を生きていること」が当たり前のように生きているんだろう。とも思います。
電車の中で周囲の迷惑も考えずに通話したり大音量で音楽を聴いている我が物顔している人や、自分の意見を正しいもので揺るぎないものであると信じて大きな声で演説しているアホみたいな人(政〇家とか)、スクールカースト・マウンティング・モンスターペアレント・クレーマー・校内いじめ・苛烈すぎるマスコミのバッシングなど。
「自分」を理解していないが故に「他者」を理解しようとしない、こと?
なんて表現すればいいんだろう。う~ん。
「生きていること」を当たり前のことだと思っていて。
周囲の人も「生きている」のだということも当たり前だと思っていて。
なんでもかんでも「それが当たり前」だと思っていて。
流れる時間に流されることが当たり前になっていて。
「どうして?」と立ち止まって考えることをしない。
言葉だけは立派なものを並べていたりするけれど。
「どうして?」と立ち止まって思考することを諦めてしまった、そもそも思考することすら忘れてしまった。
それがね、私には不思議なことに思えてならないんですよ。
規模が大きな話をするとね?
例えば、「戦争」
戦争が起きる要因として挙がるのは、「土地の奪い合い、資源の奪い合い、権力の奪い合い、力の誇示・・・etc.」などであると思いますが。
私はいつもこう思ってしまうのです。
「なんで戦争をしている人たちは、戦って勝てば当たり前のようにその求めるものを手にすることが出来ると考えているのだろう」と。
土地も資源も、“地球”にあるものであって本来人間が持っていて当たり前のものではないでしょう?
人間の発生は「受精から始まって胎で発達し、母体によって育まれて外界へと出現する。」
これはどんなに権力を得た人でも平民でも変わることの無い事実であるはずでしょう?
皮膚の色や性別、大きさや姿形で変わってしまうようなものでは無いはずでしょう?
戦いを始めるとき、なぜ人は「戦って勝つこと、報酬(戦利品)を得ること」に一番に意識を向けてしまうのか。どうして、「そもそも戦争とは何か」「生と死とは何か」「戦争が起こることすなわち誰かの生と死を無責任に変換してしまうこと」とか考えないのか。
いや、考えているのかもしれませんけどね。
多分、うわべだけの言葉で納得しようとしてしまうのだと思います。
とまぁ、ね。このようにね。
(どのようにだよ!わかりにくいんだよ、お前の思考回路は!!)
あ、うん。ごめんよ。。
私が今回問うていたのは
「自分自身」について「自分」はどれほど理解出来ているのだろう。
ということでしたが。
この問いを深く考えると、「ものごとの本質(ex.自己の存在、モノのある意味、それがそれだと成された経緯など)を知ろうとせずに、どれだけそのものごとを正しく認識しているのか。誤っているかもしれないその本質の捉え方を、なぜ一点からだけでなく多角的に捉えようとしないのか。」ということにいきあたりました。
そして、私の言いたいことの結論は「人間って一度そうだと思い込むとなかなか修正ができないよねぇ。それが間違っているのか合っているのか、そのどちらでもなく存在しているのかしていないのか、とか考えることもせずに「当たり前」という無意識で何気なく生きてしまうのはもったいないよねぇ」ということです。
はじめにも書いたとおり、私は日常的に「どうしてそれはそれとして存在しているのか」「そもそもそれはなんなのか」とふとした瞬間に考えながら生きています。
友人たちにはあきれられたりしていますがw
これが私という人間であるから仕方が無いw
まぁ、だからといってなんだということもないのですがね。
みなさんも、ぜひ、一度立ち止まって考えるということをしてみてください。
「自分」というものの何かが変わるかもしれません。変わらないかもしれません。
はっきり言えることといえば、「自己解決能力が上がる」ということくらいですかねぇw
自分の中でこまめに質疑応答する癖がつきます。そうすると、何か外部の問題(自分の中の問題ではない外的要因によってもたらされる問題)にぶち当たったとき、その問題を自己の中に一度取り入れてしまって自分の中で解決する、ということが結構出来るようになります。
【虚心猫の個人的意見です。虚心猫の個人的な意見です。】
もちろん!自分ひとりで抱えきれない問題などは周囲の人を頼る方がいいですよ。すべてを自己解決しろ、というものではないのですからねw
・・・・・はいっ。ということで。
私ももれなく、タイトル通り。
「何が言いたいか、自分のことを分かっている人は少ない。」に当てはまる人でしたw
まとめが下手ですみません。
なにが言いたいのか、うまくまとめられていません。
「当たり前なこと、なんてないんだよ?本当は。
どうして、みんなは当たり前だと思うの?」
と言いたかっただけなのかもしれません。
長文も失礼しましたwここまで読んでくださった方には感謝を申し上げます。
では、また。
こんにちばんわ~。虚*心*猫です。
アニメ語りではないけど、とある漫画作品について語りま~す!
その名は
こえ恋
深夜にドラマがやっていたみたいですねぇ。実写化されていた、と。
あ、っと。こえ恋について語る前に【comico】についてちょろっと説明。
知ってる方も多いと思います、comicoですが。
縦読みタダ読み を売りにしている、コミック掲載サイト?アプリ?です。
今もなのかなぁ?
ももクロ(ももいろクローバーZ)がCMをしてましたねぇ。
ここ最近はcomico作品からのアニメ化・ドラマ化・書籍化・グッズ販売・放送・・・など、多岐にわたる活躍を見せている新進気鋭のやつです!
では、「こえ恋」について。
主人公は高校生、ちょっと変わった男の子ととにかくいい子な女の子です。
ちょっと変わった男の子・・・とは?
それは、笑っている顔が描かれた茶色の紙袋を常に被っている、良い声(ここが大事)で言葉を大切にするとても礼儀正しく優しい松原くん。
とにかく良い子な女の子とは?
ここぞ!という時に体調を崩してしまいがち、だけれど、話す相手の言葉はきちんと理解して受け止めようとするし、約束したことはどんなに些細なことでも守りたい、相手の感情を感じ取りやすく共感しやすい、吉岡ゆいこちゃん。
「こえ恋」はそんな二人の《言葉・声》を大切にした、優しくも哀しい、じれじれで幸せな漫画なのです!
主人公たちの周囲の人たちも、近づいたり悩んだり恋愛したり落ち込んだり。
とても穏やかな世界の中で揺れ動いたり進んでいくストーリーに、胸きゅんしながらハラハラしつつドキドキ出来ます!
シリアス場面では、松原くんの紙袋の謎や松原くんの過去に触れていきます。
ずっと松原くんの素顔は陰に隠されたまま、切ないストーリーが展開されていたり。
「顔付き紙袋」の謎。。
こえ恋の核になっているけれど。
普通に冷静に考えてみると、高校のクラスメイトの中に紙袋を被っていて素顔を一度も見たことがない人がいたら、怪しむか笑うしますよねぇ?現実的に考えるとなかなか無いですよ。
作者のどーるる様の発想力は凄いと思いますw
現在comicoでは、第63話まで掲載されているみたいですよ?
ドラマの方は終わってしまったようですが。
松原くんの声、ドラマだと櫻井孝宏兄様が演じられていたんです!
良い声の主人公、と銘打たれていてプレッシャーもあったでしょうに、期待を外すこと無くとても素晴らしいイケボ(イケメンボイス、又の名を逝けるボイス)を聞かせていただきました。そして、紙袋を被り続けたアクターさん、結局顔をさらすこと無くドラマ終了というちょっと切なく難しい役を演じていたのは、永井響さん。中の人(アクター)も中の人(声のひと)も結果イケメンというね。なんとも贅沢なドラマでした。
原作のcomicoの方はまだもう少し続くとのことなので、ハマってしまった一ファンとして主人公たちを応援していきたいと思います!
「こえ恋」を知らないよ~という方の中で、興味出てきた~という方。
是非、comicoで調べて読んでみてほしいと思います。
単行本にもなっているようなので、PCやスマホで読むのがだるいという方は単行本からでも読んでみて欲しいと思います!!
さて、今日はこんなところで。
私が最近ハマった漫画、「こえ恋」語りでした~。
では、また。
※いわゆる、愚痴です。聞きたくない!という方に、ごめんなさい。
課題をまとめて終わらせる。
そう、息巻いた私は思った。
「いや、お前には無理だ!」
なるほど、確かに。
マイペースで飽きっぽい私には、無理だ。
いや、しかし。
やらねばヤラレル、後ろに見える崖の下には、うねる濁流が見えているのだ。
そして、もし、後ろに下がってしまった暁には。
落単(大学で卒業に必要な単位を落とすこと)
補講
最悪、留年
そう、こんなものが待っているのだ。
嫌だ、そんなのは。絶対に。
あぁ。しかたがない。仕方が無い。
私はまた、課題と戦う運命なのだ。
・・・・現実逃避もこの位にして、頑張ってくるかぁ。
大学生、高校生、中学生、小学生のみなさん。
一緒に頑張りましょうね、課題やら宿題やらテスト勉強やらを。
諦めなければなんとかなるよ、きっと。
おはこんにちばんわ。色々疲れた 虚*心*猫 です。
長文書く力はないので、今回はネタバレ含みません。安心してくださいw
はいっ!ということで。
異人館画廊4作目を読みました!読み終えました!!
今回もヒヤッとしながらも、千景ちゃんと透磨くんのじれじれ感にドキドキしつつ、近づく恋心にワクワクしたりして。
透磨が動きましたねぇ。千景も少しずつ変化してきました。
ウンウン('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)
やっと、二人の関係が溶けて動き出しましたね。
もう、ニヤッ、ふふっ、きゃっ///が止まらないっ!!
誰か、すでに読み終えている人で語り合える人はいないだろうか!
ぜひ、話したいよ!
( @kyomunoyume ←私のツイッター垢 を載せておいてみるw )
まぁ、人見知りの虚心猫さんなので、ネット上で繋がってくれるとうれしい。
異人館画廊 当世風婚活のすすめ
興味をもってくださった方は、是非ご一読してみてくだあさいな!
では、今日はこんなところで。
(@^^)/~~~bye-bye