通園初日、入園式のために娘を幼稚園まで連れて行った。障害児の受け入れは娘を含め3名であった。そのうちの1人は男の子で、住まいも我が家の近所の子であった。もう1人は女の子。言葉も話すし、いったいどこに障害があるのか分からない程の活発な子であった。入園式は私が仕事のため妻が連れていったのだか、これといった問題は起こらなかったようだ。まだこの時点では妻もいたし、娘にとっては単なる"お出掛け"程度にしか思っていなかったのかもしれない。問題はこれからである。自宅前まで送迎のバスが迎えにきて、果たしてちゃんとバスに乗って幼稚園に行ってくれるかどうかだ。バスに乗るのを嫌がるか、はたまた、バスに乗ったがママが見えなくなったら泣き出すか、幼稚園でルーティンを崩され暴れるのではないか、様々な不安が妻の頭を過る。心配は常に隣り合わせである。
翌日、送迎のバスが来ると、笑顔で先生が娘を迎えてくれた。

「望愛ちゃん、おはよう!」

妻は先生に娘を託し、何度も頭を下げ頼み込んだ。娘もおとなしくバスに乗ってくれて、その場は無事に済んだという。しかし、いつ幼稚園から電話連絡が来るか、気の休まる事はなかった。いくら専門の先生方がいるとはいえ、発達障害児はいつどこで崩れるかが分からないからだ。手に負えなくなった場合は、最終的に親が迎えに行く事となっているからである。
1時間…2時間…、どうやら娘は無事に幼稚園を過ごす事ができた。
それからというもの、娘の場合は幼稚園での生活が楽しいものだと感じ取ってくれたようで、先生を酷く困らせるような出来事は起きなかったようだ。
ただ、「やはり…」というか、想像していた通りという事もあった。それはお遊戯会的な、いわゆる「団体行動」だ。娘は内弁慶なところがあり、比較的に外ではおとなしい事が多かったが、団体行動となると、やはり他の健常者の子供たちと同じ事は出来ない。一人座り込んでしまったり、列からはみ出してしまったりと。時折、奇声を発する事もあった。こういう時は、先生が近くでサポートしないと、どこかへ行ってしまうのである。本人には分からない事なので仕方のない事だが、少しでも健常者のお友達の真似事でもいいので成長してくれたらと、気長に見守るしかない。
娘は嫌がる素振りも見せず幼稚園に通い、妻も私も少しだけ心に余裕が出来たのだった。

無事に娘は幼稚園での新しい生活がスタートし、妻も日中は一人の時間を持てるようになった。しかし、何かと子供の成長に合わせお金の掛かる事も増えてきた。恥ずかしながら俺の給料はなかなか上がる事はない。妻は外に働きに出ようかと思い立ったのだ。しかし、なかなか都合の良い時間帯の仕事は見付からない。この辺りはどちらかと言えば"田舎町"なので、元々、働き口が少ないのである。そこで妻が始めたのが「内職」であった。たまたま近くに小さな工場があり、そこの内職が募集していたのだ。細かな作業をコツコツと組み上げ、一つ出来上がっても数円…。それでも家事の合間の手の空いた時は作業を続けていた。
そんな時、俺の仕事に不穏な動きが見え始めた。

担当していた荷主(取引先)が他会社と合併するというのだ。この時まではあまり心配はしていなかったが、少しずつ俺の運ぶ荷物は減り、やがて仕事の依頼は今月末で終了と宣告されてしまったのである。
俺の上司からは「他の仕事があるから心配ない」と言われてはいたが、慣れた仕事を離れ、新しい内容の仕事に就くのは、やはり不安もある。夜勤なら子供との時間が減ってしまうだろうし、中・長距離のドライバーなら家に帰って来れない。どんな仕事が待ち受けているのか、上司からの報告があるまで落ち着く事は出来なかった。

「○○営業所へ転勤してほしい。」

まもなく今の仕事が終わるという頃、突然の報告に俺は愕然とした。○○営業所は隣の県であり、通勤ともなると自宅からは車で二時間以上も掛かってしまう。さらに、通勤手当てにも上限があり、車通勤では燃料費だけで赤字になってしまうのだ。そこで会社側からの提案として『単身赴任』を推奨されたのだ。さらに、赴任先ではドライバーではなく、倉庫内作業員として働いてほしいと、好きだったドライバーからも下ろされてしまうのだ。アパート代は会社で持ってくれ生活費として給与も少し上乗せしてくれるとの事だが、俺は正直どうしたら良いか頭の中が混乱していた。毎日子供に会えない。障害児を妻一人に任せて良いものか。好きなドライバーではなくなる。年齢的に転職は厳しい。色んな葛藤が一度に押し寄せてきたのだ。勇気を出し妻に相談してみると、妻の口からは意外な言葉が返ってきた。

「私たちは大丈夫!何とかなるさっ!」

あまりの気丈な言葉に俺は呆気に取られてしまった。悩んでいた自分が恥ずかしくなるくらいであった。そして、俺は単身赴任をする事に決めたのであったが、本当の問題はこの後に待ち受けていたのだ。

 

つづく