10th years promise ~望まれ愛されること~ 最終章

 

娘は幼稚園に通う前に『障害者手帳』を交付してもらっていた。管轄の児童保健センターでカウンセリングを受け、重度障害者として認定されたのだ。そのため、地元の特別支援学校に入学できる事となった。幼稚園で一緒に過ごした二人の障害児も同じ学校に通う事に決まり、親同士も慣れた環境に少しホッとした思いでいた。

小学校入学間近の事、娘の成長も少しずつではあるが変化が見え始めた。『顔』が書けるようになったのだ。顔と言っても、丸い円の中に点が二つと横線が一本あるような、単純な顔である。それでも、会話の出来ない娘が、目や口を認識しているという事がはっきりと分かった。さらに、お風呂の内壁に張り付けた『数字表』と『50音表』を少しずつ言えるようにもなった。ちゃんと発音できるものもあれば、発音できない言葉もある。例えば『さ行』は発音が難しいらしく、『いーち、にーい、ぺーん…』となってしまう。しかしその後は『ちーい、ごーお、ろーちゅ、ちーち、はーち、くーう、ちゅう!』と、元気よく読み上げるのだ。親目線であると言えばそうかもしれないが、私たち夫婦にとっては喜ばしい成長であるとともに、娘にとっても立派な発語である。それと同時に、娘の遊びにも変化が見え始めた。テレビキャラクターのジグソーパズルを購入し遊び始めたのだが、普通なら外枠のピースから揃えていき徐々に完成させるのが基本となるが、娘の場合は色や形で覚えているため、適当にどのピースを渡しても揃える事ができるのだ!これは『カメラアイ』とも呼ばれる症状で、調べてみると、これは見たものをそのままの状態で記憶する能力との事だった。初めは子供用の少ないピースパズルからだったが、今では100ピースくらいなら揃えられてしまう。大人でも外枠からでないと揃えられないパズルを完成させてしまう才能には、親である私でも素直に驚いた!
娘の成長を感じるのはこれだけではなかった。

月に1~2度の作業療法【OT】(Occupational Therapist)では、細かな作業が苦手で、いつも途中で諦めてしまったり、癇癪(かんしゃく)を起こして中断してしまった動作が最後までやり遂げる事が出来たり、言語聴覚療法【ST】(Speech-Language-Hearing Therapy)では、口の動きが良くなり、話す相手の口元を見て発音を真似る動作が確認出来るようになった。また、放デイ【放課後等デイサービス】にも積極的に通わせ、団体行動や新しい遊びに学びを加えた療育も受けさせた。

今日に至るまで不安と心配の積み重ねばかりしてきたが、ちゃんと娘は成長をし続けている。当然、一番頑張っているのは娘であるが、俺は妻に一番感謝している。命掛けで子供を産み、初産で右も左も分からない事だらけ、寝る間もないくらい夜泣きに悩まされ、お洒落もせず、好きな事を我慢し、女である前に"母親"としての道を突き進んできた。自分の事より娘の安全と成長を一番として、それはこれから先も続くのかもしれないが、決して苦とは思わないのだろう。障害を抱えた子供であっても、日々、成長や変化を楽しみながら見守っていくしかないのだから。俺はそんな妻を全力でサポートしなければならないし、少しでも子供との時間も作っていこうと改めて誓った。

そう、前向きな考え方を持てるようになった頃、いつものように一人寝室へ入ると、ふと、仏壇に飾られている美香の遺影が気になった。10年経った今でも、あの頃のままの美香の顔は真っ直ぐ俺の顔を見ている。そして思い出したのだ!美香が亡くなる直前によく聴いていた歌を。

『泣きたいときや 苦しいときは
私を思い出してくれればいい』

俺は大切な事を忘れていた…。
美香は俺を迎えに来た訳ではないのだ。病魔と戦い、生きたくても生きられなかった美香は、誰よりもつらかったはずなんだ。俺はそんな美香の気持ちを忘れていた。娘の成長に悩んだり、仕事が上手くいかなかったりしても、生きてさえいれば必ず道は開かれる。だから負けずに頑張りなさいという、"応援"だったのだと悟った。
それ以来、美香は俺の前に現れる事はなかった。
あの日の夜、美香が現れて『約束…』と言った事…それはきっと・・・

【私の分まで頑張って生きてほしい】と。

美香は俺に改めて新しい人生を生きる意味を教えてくれたのだと思う。

翌日、俺は美香の墓前に出向き、大好きだった向日葵の花を手向け、手を合わせながら目を閉じた向こう側の美香へ感謝の言葉を捧げ続けた・・・。

「がんばるよ・・・ありがとう・・・」


終わり