「・・・トシ、サトシ!」

ある夜の事、また私は誰かに呼ばれている夢を見た。その声はとても懐かしく、しかしながらとても聞き慣れた声であった。声はするが姿は見えない。しかし、その声の主は間違いなく"美香"であった。

"美香"とは、私の前妻の名である。私は今の妻と一緒になる前、前妻を病気で亡くしている。

そんな美香が他界して10年…。美香が亡くなった時は、毎日のように夢の中で会っていた気がする。悲しくて…寂しくて…。寝ても覚めても頭の中には美香がいた。妻の闘病中は会社も休んで懸命に看病の日々を送っていた。医者から"余命宣告"を受けた時は、人目も憚らず号泣した事を覚えている。10年経った今も、日常生活を送っている上で、ふと、美香と過ごした時間を思い出す事がある。散歩した公園、買い物に行ったお店、好きだったお菓子。その瞬間は突然やってくるのだ。勿論、今は再婚し嫁と子供がいるので、その事は絶対に口には出さないが、もしかすると嫁はそんな私を看過しているだけなんだと思う。なるべく前妻の事を口にしたり悟られないよう気を付けて今の生活を過ごしていた…。

望愛が幼稚園に通い始める頃、妻は朝から晩まで書類とにらみ合いをする事が多くなった。発達障害児を受け入れてくれる幼稚園探しで悪戦苦闘していたのだ。一言に障害児と言っても、子供によってはいろんなタイプがある。そのタイプに合わせて専属の先生を配置しなくてはならない事が、幼稚園側でも容易ではないのだ。受け入れてくれる人数にも制限があり、良い幼稚園を見付けても、抽選から外れてしまう事も多々あるようだ。その他にも、園によっては『勉強・運動・遊び』など、それぞれの方針が違ってくる。健常者の親御さんならどう子育てをしていきたいのかによって選んでしまえばよいのだが、発達障害児の親は簡単には決められない。そして、悩みに悩んだ末、やっと自宅から車で30分ほどの幼稚園に入園できる事に決まった。その幼稚園には障害児を受け入れられるように、障害児の人数に合わせた先生もいるとの事だった。緑豊かでいつでも自然と触れ合える、私たち夫婦にとっては最高の環境で子供を預けられる幼稚園。まさに"のびのび"と育てる環境に、五里霧中だった妻も胸を撫で下ろす思いであったろう。残る心配は娘が毎日通園してくれるかだ。やはり発達障害児に多く見られるのが、環境の変化に順応できなくなる事だ。簡単に説明すると、今までは朝起きたらママと一緒にテレビを見たりご飯を食べてお散歩したりしていた毎日から、今度は決まった時間に通園して、ママから離れて幼稚園でお友達と過ごす。このちょっとした変化にさえ対応出来なくなるのだ。健常者の子供なら「明日から幼稚園だよ!」で済む話が、発達障害児には、きっと「なんで?イヤだ!」と、"ルーティン"を崩される事に抵抗が生まれてしまう。健常者の子供の中にもたまに居るそうだが、発達障害児はこれによって自傷したりお漏らしをしたり、服を脱いでしまったり、時にはなだめる親や先生に対し"他害行為"をしてしまう。妻にとっての次の悩みは無事に娘が通園できるかどうかになった。

 

つづく