10th year promise ~望まれ愛されること~

 

 

「ねぇ・・・」

誰かに呼ばれているような夢を見た。何の変哲もない普通の朝。いつものように寝室を後にし、インスタントコーヒーを作る。庭先で一服しながらボーッと空を眺めるのが日課であり、その日のスタートである。洗濯物を干し、自分のお弁当を作り、部屋中のゴミ箱をかき集めて集積所へ持って行く。妻と子供は、私が車に乗り込んで仕事に出発すると二階から降りてくるようだ。

私の仕事はトラックドライバー。一日の半分はトラックの中で過ごしていると言っても過言ではない。今日も朝から荷物を積み込み各納品先に届ける。私はこの仕事が好きで、とくに何が良いのかと聞かれたら「一人で気楽に仕事ができるから」と答える。以前は工場の作業員や事務職なども経験してきたが、周りの人に気を遣うのが嫌でこの仕事に落ち着いた。この仕事なら人との接触も最低限で済むし、配達が終わった者から順次帰れる。俺にとっては最高の条件であった。
べつに人間嫌いって訳でもないのだが、今はこうして家族以外には特別関わりを持たなくてもいいのかなぁって思っている。

今日も無事に仕事が終わり、どこにも寄らずに真っ直ぐ帰宅する。リビングの窓からは、私の車のエンジン音に気付いた娘が顔を覗かせる。玄関のカギを開けて中に入ると娘が近付いてくるのだか、5歳の娘の口からは「お帰り」という言葉はない。私から「ただいま」と言うが、いつも一方通行の会話になってしまう…。

~3年前~

高齢出産となる40歳で、妻と私の間に産まれた大切な生命。誰からも愛され、望まれるような人間になってほしいと願いを込めて「望愛(のあ)」と名付けた。やっとの思いで授かった娘を妻は溺愛し、身を削りながら一生懸命育児に励んだ。そして娘が2歳になろうかという時期に、私達夫婦に衝撃的な真実が突き詰められる事となる。

「発達障害」

2歳になっても娘は何の言葉も発しない。1歳半の検診の時、すでに妻は娘の異常に気付き始めていたが、その予感は娘の成長と共に辛い現実を突き付けられていく。小児科の先生は問題ないと言うが、妻は検診や予防接種などに娘を連れていくたびに、周囲の子供たちとの違いに耐えきれない不安を重ねて帰ってくる。葛藤の日々を過ごし、何か少しでも良い手立てがないかを考える事が日常となってしまった。私に出来る事と言えば、妻の話し相手になり、家事をサポートする事。勿論、妻がゆっくり休息が取れるよう、翌日の仕事が休みの日は私が娘を寝かし付けてゆっくり寝てもらう。少しでも娘との時間を作る事だった。しかし月日が経つにつれ、この「発達障害」は鮮明になっていく。
「自閉症」「注意欠如」「言語障害」「多動」「偏食」時には「睡眠障害」「自傷行為」にも悩まされた。
こんな日々の生活で夫婦喧嘩に発展してしまう事も多くなり、子供の未来と夫婦の行く末に明るい気持ちが持てなくなってしまった。


ある日の事、いつものように娘はおもちゃで遊んでいる。妻と私は夕食の準備を始め、先に娘の食事を用意した。偏食の酷い娘には決まった食べ物しか用意できない。落ち着きがないのでテーブルに向かって座っている事さえできない。こちらから遊んでいる娘の口にご飯を運ぶのが当たり前になっている。それの繰り返し。目の前で遊んでいる姿は健常者と何ら変わりないのに、娘を見つめている私は少し寂しげになってしまう。そんな時、いつもは奇声とも言える言葉しか発しなかった娘が小さい声で
何かを言っている気がした。

「パ…パ…」

「えっ!今、パパって言った?」

一瞬ではあったが、いつもの意味不明な言葉ではなく、ゆっくりと「パパ」と呼んでくれたのだ。私だけがそう聞こえたのかもしれないが…それでも…私にとっては娘の心に「パパ」の二文字がやっと刻まれてくれたのだと確信した。そして、いつのまにか私の頬には一筋の涙がこぼれていたのだ。

健常者と比べれば娘の成長は劣っているかもしれないが、ゆっくりでも遅れていても構わない、そんな毎日を私と妻は見守りながら幸せな日々を過ごしていた。

 

つづく