俺は泣きながら、ひたすらに心肺蘇生を続けていた。大粒の涙がお菊殿の体にこぼれ落ちていく。俺は最後にお菊殿の顔を見つめそっと唇から息を吹き込んだ。人工呼吸をしたのである。
せいきち (ごめん…お菊。助けてあげられなかった…ごめんね…)
『プハッ!』
せいきち 「!?」
新之助・甚八 「えっ!?まさか…」
お菊 「ゲホゲホッ…」
せいきち 「お菊ーっ!」
お菊 「…せい…きち…さん…」
せいきち 「あぁ、俺だよ!せいきちだよ!助かったんだ!お菊殿は助かったんだ!」
お菊 「うぅぅ、怖かった…怖かったよぉ…」
せいきち 「もう大丈夫だ!本当に良かった…」
俺はお菊を強く抱き締めた。最後にこんな奇跡が起こるなんて信じられなかった。お菊殿は息を吹き返し戻ってきてくれたのだ。
お菊 「ありがとう。私、もう駄目だと思ってた。」
せいきち 「お菊殿の父上が助けてくれたんだ。」
お菊 「父上?それって、まさか家康…様?」
せいきち 「あぁ。家康様の力添えがあったからこそ勝てたんだ!このソハヤノツルギには娘を守りたいという魂が宿っていたんだよ。」
お菊 「そうだったの…ありがとう、お父さん!」
新之助 「菊姫様!」
お菊 「新之助さん!こんなに血が…早く医者に診てもらわないと。」
新之助 「いや、まだやるべき事がある。」
新之助は腹を押さえながら大上の元へと歩いていった。そして、かろうじて息をしている大上に刃を向けたのだ。
新之助 「これまでの所業、絶対に許さんっ!」
せいきち 「やめろっ!」
新之助 「この期に及んでまだ生かすつもりか?こいつは万死に値する!」
せいきち 「こいつを裁くのは俺たちではない。どうなるかは幕府に任せようじゃないか。俺たちの目的はあくまでも菊姫様を救う事じゃないか!」
新之助 「…せいきちは優しいなぁ。菊姫様が惚れる訳だよ!」
せいきち 「えっ!?」
新之助の突然の発言に動揺が隠せなかった。
せいきち 「えっと…あっ、それより、早く医者だ!町に戻って医者に診てもらわなくては。」
そして、俺たち四人は山を降りる事にしたのだが、その前にまだ一つやり残していた事に気付いた。俺は大上の側へ行き、上様からの言葉を伝えなくてはならなかった。
せいきち 「大上さん、聞こえるか?この軍配はあなたにお返しする。家康公が天下人となった時、この軍配とともに残った家臣を宜しく頼むと言われ預かったそうだ。決して奪い取った訳ではなく、ともに戦い、天下人を目指した証として、徳川家の家宝として奉っていたそうだ…。軍配はあなたの主君の墓に埋葬してほしいとの事だ。」
大上 「・・・儂は、愚かじゃった。」
せいきち 「じゃあ、確かに渡したぞ。幕府の連中に捕まる前に墓前に手を合わせてくるがいいさ…」
こうして、俺たちの旅は幕を閉じた。新之助は町の医者に手当てしてもらい、一命を取り留めた。医者が言うには「こんな酷い怪我をしているのに死なずに来れるなんて化け物か!」と、驚いていたそうだ。確かに、新之助らしいかもしれないと笑みがこぼれた。
数日後、新之助の怪我の調子も良くなり、一人で歩けるほどに回復したと同時に、江戸から幕府の使いが訪れた。甚八を一足先に江戸城へと走らせていたのである。そして、今回の騒動について調べたみたいなのだが、大上歳善は豊臣家所縁の墓前にて腹を切り自害したと知らせを受けた…。
江戸に戻ると、久し振りの町並みに不思議と故郷にでも帰ってきたかのような懐かしさを感じた。江戸では甚八が出迎えてくれ、早速、上様(徳川秀忠)がお呼びだと言うことで、俺たちは江戸城本丸へと向かった。そして、江戸城では元気な姿で"水織殿"が出迎えてくれた。
新之助 「水織殿っ!」
水織 「お帰りなさい!」
新之助 「ずっと心配してたのだぞ~!」
水織 「皆様のお陰で、こうして元気を取り戻す事ができました!それはそうと、上様がお呼びですよ。お急ぎ下さい。」
大上に斬られた水織は元気な姿を取り戻していてくれた。きっと新之助が快気を願って作り上げた"簪"が効いたのだと笑みがこぼれた。
秀忠 「よくぞ無事に帰ってきてくれた。そして、菊姫奪還の働き、誠に大義であった!心から礼を言うぞ。」
菊姫 「私からも改めて感謝の意を申し上げます。」
秀忠 「今回の一件、まさか大上が主犯だったとは、油断していた余にも責任がある。誠に申し訳なかった。こうして菊姫が無事に帰って来られたのはお主らのお陰だ。何か褒美を取らせよう。まず、新之助は大上に代わり、御側御用人として余の側近になってくれまいか?」
新之助 「そっ、側近っ!?」
秀忠 「嫌なら無理にとは言わんぞ。」
新之助 「身に余る光栄でございます!」
秀忠 「して、そこに居る甚八。お主もこの江戸城でお役についてもらいたいのだが、何か希望はあるか?」
甚八 「あっ、有り難きお言葉!私は兄貴…いえ、せいきち様や新之助様のように強くなりたいです!」
秀忠 「では、新之助が抜けた分、江戸城護衛役を担ってもらえぬか?剣の修業もできるし一石二鳥だ。どうだ?」
甚八 「ありがとうございます!仰せつかりましたお役目に励まして頂きます!」
秀忠 「では、せいきち。お主はどうだ?」
せいきち 「・・・」
秀忠 「ん?どうしたのだ。」
せいきち 「私は…何も要りません…」
秀忠 「…何も要らんとな?」
せいきち 「はい。私は武士でもありませんし、何より、もう褒美は頂きました。」
秀忠 「褒美を貰ったと?」
せいきち 「私にとっての最高の褒美は、菊姫様の笑顔。またこうして菊姫様の笑顔を見れた事が幸せなのです。それだけでいいのです。」
秀忠 「そうであったか。では、これからどうするつもりだ?」
せいきち 「当てはありませんが、またどこか遠くへと旅に出るつもりです。」
菊姫 「まさか、未来へと戻られるのですか?」
せいきち 「戻れるか分からないけど、俺の居場所はここではないから…」
菊姫 「…私と…私と一緒に居てはもらえませんか?」
せいきち 「ありがとう…。でも、俺の帰りを待っている…大切な人が居るから…ここでお別れです。」
菊姫 「・・・」
秀忠 「…あい、分かった。だが、何か困り事があったらいつでも余を頼りに訪れるのだぞ。せいきちには、それだけの借りがあるのだからな!」
せいきち 「まことに勝手を言ってすみません…」
俺は上様からの申し出を断った。お菊殿を救う事が俺の人生で初めて大事な達成感を得られたからである。それだけで十分であった。
その夜、新之助、甚八、水織の四人で宴の席に居た。お菊殿も交えたかったのだが、姫様という立場上、簡単には参加できない。酒も回り、夜が更けた頃、皆は疲れていた事もあり深い眠りに落ちた。
せいきち 「こうして皆と居られるのも、今夜が最後だろうな…本当にいい奴ばかりだよ。俺に男としての武士道を教えてくれた新之助…。少し頼りないけど、子供に優しい甚八…。世話好きで姫想いの水織殿…。そして…、俺が初めて江戸に迷い込んだ時、最初に出会ったのはお菊殿だった。見知らぬ俺に優しくしてくれた…。皆…ありがとう。」
『トントン!』
せいきち 「はい。どうぞ。」
お菊 「ごめん、お城を抜けてきちゃった。」
せいきち 「大丈夫なのですか?」
お菊 「うん。どうしても、せいきちと話したくて…」
せいきち 「…はい。ここでは皆が寝ているので、外の風にでも当たりながら話しましょうか。」
お菊 「うん…」
俺はお菊殿を外へと連れ出し、川のほとりで立ち止まった。
お菊 「ねぇ、せいきち。私、水の中に落とされて意識を失っている間に夢を見てたの。遠くに居るせいきちが、何度も何度も私を呼ぶの。だから私、せいきちの声がする方へ走り続けた。そしたら、目が覚めて、せいきちが目の前に現れて、私を抱き抱えていてくれた…。その時、自分の本当の気持ちに気付いたの。私はせいきちを愛しているんだって。」
せいきち 「・・・」
お菊 「せいきち…。私じゃ駄目なの?ねぇ、せいきちっ!」
せいきち 「俺が未来からこの江戸の町に迷い込んだ時、お菊殿は俺にそっと手を差し伸べてくれた。それからお菊殿とは色んな事を共に乗り越えて、本当のお菊殿になれたんだ。家康様が父上だった事。母上のお清さんが命を懸けて守ってくれた事。そして今は、立派な姫君となられた。俺の役目もここまで…。もし俺がお菊殿と一緒になってしまえば、未来が変わってしまうのです。俺との出会いは、お菊殿の胸の中にしまっておいて下さい。お菊殿に出会えて…俺は色んな事を学び、そして強くなれた。お菊殿に出会えて…幸せでした。」
お菊 「・・・」
せいきち 「ありがとう…お菊…」
うつむいたお菊殿は、肩を震わせていた。それと同時に、いつか感じた柔らかく暖かい風が俺を包み込んだ。俺の体は少しずつ光だしたのだ。手のひらを見ると、確かに少しずつ俺の体が薄れていく。
せいきち 「お菊…どうやら帰る時が来たみいだ…。これをお菊殿に…」
俺は父上(家康公)の形見であるソハヤノツルギと、お菊の笑顔を想い作り上げた"簪"を手渡した。
せいきち 「ありがとう…お菊殿!」
お菊 「ありがとう…せいきち!」
せいきち 「ありがとう…幸せにな!あり…が…と…う…」
お菊 「せいきちーっ!!」
【この度も世話になったな。やはり、儂が見込んだ男じゃったぞ…感謝しておる。ありがとう。】
夢から覚めると俺は林の中に倒れていた。すぐに自分の体を見ると、間違いなく現代へと帰ってきていた。随分と長い夢を見ていたはずなのだか、時計を見る限り江戸に迷い込んだ時刻と変わってはいなかった。俺は立ち上がり、辺りを見回していると俺を呼ぶ声に気付いた。
麻依 「聖也ーっ!」
聖也 「麻依の声だ!」
麻依 「ちょっと、おいてかないでよ~」
聖也 「ここだよ!」
麻依 「もう、先に行っちゃうんだから~。あっ、もしかしてこれが例の石碑?」
聖也 「そうだよ!俺にとって、すっごく大切な石碑なんだ!」
麻依 「えっ?そんな事、言ってたっけ?」
聖也 「あぁ、俺の宝物がたくさん詰まった石碑だよ!」
麻依 「ふ~ん…そうだね!宝物だね!」
聖也 「さあ、そろそろ帰ろうよ。」
麻依 「うん!」
そう言うと、俺は何もなかったのかのように歩き出した。
麻依 「ん!?」
聖也 「どうした?」
麻依 「なんか聖也の後ろ姿、すごくたくましくて立派に見えた!」
聖也 「そうかなぁ、きっと石碑のお陰だろ!」
木漏れ日の隙間から見える青空と、穏やかに流れる白い雲を見上げた・・・。
そして・・・足元には菊の花が一輪・・・にっこりとこっちを向いて咲いている・・・。
せいきち (・・・ありがとう・・・菊姫様・・・)
もののふラプソディー
完