「真福八端」について黙想して思ったことは、この世は所有と支配と自己主張を際限なく追求する世界であるのに対して、真福八端はその真逆を行くものだということです。

この道は、罪人である私たちにとって、断じて容易ではありません。しかし、私たちが所有と支配と自己主張によって決して幸せになれないことは、綺麗事ではなく真実です。私たちは罪人であっても、罪を犯すために造られたのではないからです。罪人であるということは、幸せになるために、万人は命なるキリストを受けることを必要とするという意味です。命なるキリストに満たされるほど、私たちは所有も支配も自己主張も求めなくなります。まことのキリスト教は、宗教の枠を越えつつ、逆説的に「キリストのみ」を宣言します。キリストこそが命であり、自覚の有無を問わず、万人が求めているものだからです。キリスト教は単なる教えではなく、キリストご自身を与えるものです。キリストの命による支配、すなわち平和の福音です。