1人の人間を見る優しい目だと感じた。それが私にとって何よりも幸福なことだ。私はお酒を飲んで大切なものをたくさん失った。一番なくしたくなかった信用をなくした。頭が悪くても真面目なところがあるからなんとかなっていたのに、その真面目なところを失ってくずでしかなくなった。だから他人が私を害虫を見るような目をしても受け入れていかなくてはならなかった。酒乱は酒は0か100かしかないと説明してもなかなか他者にわかってもらえることはなかった。どんなふうになるのと好奇心を寄せられることばかりだった。他人事となると人は寛容になる。それは仕方のないことだった。人の好奇心を満たしてあげるかなんて気持ちにもなった。現実が苦しいなら、酔っ払って紛らわすほかない。全てわからなくなってしまいたい。そういうくすぶった感情で生きていた。母が亡くなる前に、私はもし、ママが死んでしまったら私はヤケになってお酒を飲むかもしれないよといった気がする。そのとき「そんなことないよ」と母は言ってくれた気がする。このエピソード自体曖昧でもしかしたら夢だったのかもしれない。でも、それでも母は私を信じてくれた。そう感じている。母を亡くしてからお酒を飲まずに生きていけている。ソバーキュリアスでこれからは生きていきたいと思っている。おかげで今は失った信用をとりもどして、会社の人は私をひとりの人間として大切に扱ってくれる。もう2度と失わないように生きていきたい。そういえば、先生と、円形脱毛症の話をしたときに「おいしいものを食べて、飲めばなんとかなる」と言われてから「君はお酒をやめたんだっけ?」と聞かれた。「はい、私はもともと本能で生きてるからお酒なんていらないんです。私は先生みたいに理性の塊みたいなひとに飲んでほしいと思います」と答えた。先生は「私も本能で生きてるよ。退職してからは特に」と言われた。私の本能と先生の本能は質が違うのではないかななど思った。先生は家に帰って夜飲むお酒をとても楽しみにされている。品よくお酒と付き合える人は素敵だって思う。大伴家持が「利口ぶって酒を飲まない人は猿みたいに見える」だっけな?そんな感じの歌を詠んでいたと習った記憶がある。学生の頃その歌を知って私は家持が嫌いになったんだけど、のちにすごくいいうたを知って泣いた。けど、忘れた。そうだ、あと、結社にいたとき先生は他の人に「彼女は酒乱だからあんまり飲ませないで」と言ってくれたことがあった。そのとき、私はうれしかった。ストレートな言葉で私を守ってくれたと感じた。そこには好奇心なんて微塵もなかったから。 酒乱をテーマにした短歌も初期の頃に作った。他の人なら隠したい事実だろうけど、あなたは強い人だと会の代表の人にほめられもした。しかし、今となるとあんな歌作らなければよかったと後悔している。ストレス発散みたいな粗末な歌をつくったことも、恥をとばすためにお酒に走った過去も全部後悔してる。けれど、私は一生、私という媒体で生きるしかない。どんなに消去したくても無理なのだ。だから、今とこれからを大事に生きたい。自分も他人ももっと、もっと大切にしたい。