スポ少県交流大会が終わった。

と、もう週が終わるころになって、

ご報告、県の体育課とか県の剣道連盟とかに報告、

借りたものを返して、後始末をしてやっと最終の終了、

自分の協会の事業なら、大会を閉会すれば、そこで

終了となって、総会の事業報告、決算で特別の個々の

決算はしないのだけれど。

請負事業のような事は、慣れていないので大変です。

剣道関係以外の大会役員も大会当日は出席され、剣道大会の

雰囲気はまた、他の競技とは違うらしいです。

大太鼓の打ち鳴らしで大会が始まるので驚いた様子でした。

自慢の大太鼓ですので、私は気持ちがいいです。

この太鼓協会50周年記念に購入しました。

諏訪工芸|和太鼓販売http://www.suwakougei.com/ こちらをご覧ください。


3尺の太鼓迫力があります。音も、姿も大会場が引き締まります。

当日は、保護者会の方々が、一致団結して協力してくれ運営もスムーズに行きました。予定どおりに試合は終了しましたが、

賞状の枚数が多すぎて、時間がかかり、閉会式は大幅に遅れてしまいました。

事故もなく、忘れ物もなく、終了できました。


しかし、試合場には選手、監督だけ入ってくださいと、お願いしたのですが、とあるお母さん「小学3年生で、面がつけられないので、付いてきていますが、いけないんですか、誰か会場係の人が、着けてくれるんですか。」となんとも返す言葉がありません。

以前、自分が審判をした選手が、気合が無いので、まったく無声試合が終わってその子の所に行き、「声がでないのかい」と聞くと、横にいたお母さんらしき女性が「声を出さなきゃ、いけないんですか」と強く、問い返されました、聴覚障害があるのかとも思い、聞いたのですが、声は出るとの事です。しかしその前に、いきなりの女性の言葉、以前なら、試合会場で審判をしていた者が、試合が終わって声をかけてくれるなどありがたいと思いましたが、けんか腰で、おおきなおせわだと言わんばかり。

応援は、観覧席でとお願いしても子供の面倒はだれが見る、とけんか腰で返される。

こどもが、剣道の稽古に通うのは何のためなんだろうと考えてしまう、剣道大会で勝つために稽古に通うのかしら。

有名校に進学したいの、そんなことは結果として勝った、進学の評価が上がった事なのに、その前に、素直に日との声を聴いてほしいと思います。


子供たちは、稽古をしているときも、試合をしているときも相手の事を、しっかり見て、一瞬の機会を捕え、打ち込もうと素直な気持ちで取り組んでいます。


つづく
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スポ少県交流大会剣道なぎなた交流会まで、

あとわずか、

やっと、プログラムの作り直しが終わった。

なんだかなあー疲れたなー


しかし、指導者、母集団の力を合わせ、何とか、

当日をむかえることができそうです。


しかし、多くの人の声を聴くことは、大切な事だけれど、

疲れる。


お気楽な実行委員長がいたり、

けち(引き締まり屋の会計)がいたり、


どんどん先行する、お母さんがいたり、


終盤に来て協力的になる人がいたり、


最初から、独断行動しないで、お金の心配させないで、


最初から協力して、


と、言いたいが言えないのでここで言っちゃう。


はぁー


剣道の稽古で、その人の性格は把握できるので、お付き合いもしやすいのだけれど、

剣道をしない人とお付き合いするのは、

その人の、考え方、行動パターン等把握できません。


人と上手にお付き合いする事が剣道の修行ですが。


思いがけない行動に出られると、対応できない私です。


情けない、


身から出た錆が多いので、

自分を磨くしかありませんね。

ちょっと人生を振り返り。


退職して4年になる。

その間の事は、思い出したくないことの方が多い。

安定した収入がなくなった事。

これは一番大きい。

病歴、これも自分の人生に欠かせない。

ポリオ。(感染時期不明)

腸重積症。(生後10か月手術)

嘔吐下痢症。(12歳、当時は自家中毒と言われた。)

右アキレス腱延長術。(25歳、ポリオによる腱萎縮改善のため。)

脊柱管狭窄症。(50歳、原因不明)

PPS(50歳、ポスト・ポリオ症候群筋力低下から、と思われた。)。

CIDP(56才、PPS以外の症状が続いていることから慢性炎症性脱髄性多発神経炎、担当医が疑った結果。)。

すぐに、命にかかわるようなことはなかったが、結構自慢できる。かな。

小学校の頃は、運動会、体育の時間は嫌いだった、しかし、他の勉強も好きではなかった。学校も面白と思わなかったが、嘔吐下痢症で7日休んだだけの6年間だった。存在感は無くとも、休まないおかしな小学生とにかく、学校だけは行かなくてはと思っていた。

中学で剣道を始める、仲良しの友達が始めたので、と言うのと、母親が、剣道を身近に感じていて、よく叔父が剣道をしていた話をしていた、自分はチャンバラの程度に考えていた。

しかし、始めてみたら、はまった、体躯嫌いの子がこれは出来そうと思った。そのまま、今日まで続いている。

高校も剣道。しかし戦績は無い。

大学は、付属高校だったので、そのまま進学。

これも恥ずかしいが、成績は良くなかったが、担任の先生が、剣道部の顧問だったので、進路が決まらずにいたところ、進学希望を告げると、無理を聞いてくれた。お気楽な奴です。

大学は、剣道は専門家を目指す人たちの剣道部なので、とても、とても自分が入るべきところではないと、外から見ていることにしました。軟弱。

卒業後は、地元の消防署に採用され、30年勤める。

動機は、専門の学業成績が悪く、専門知識を生かす自信がなかった。ことと

運よく、消防職員を増員してたので採用されやすかった。

給与面は、少し世間より低かったが、退職するときは、世間よりかなり良かった。(これは、一般の地方公務員と給料体系が、私の所は違っていた。その後一般の市役所職員と同じになったが、基本的に減給にはならなかった、昇給は無かったけれど。)

良い事と、嫌な事が日替わりで来るような、30年でした。

腰痛は勤め始めたころから、発症し、脊柱管狭窄症の手術を受けるまで続きました、

良いドクターに手術してもらい良かったとおもいます。

しかし、これには、少し事情がありまして、良い先生に巡り合うまでに紆余曲折が。

救急救命士の資格を平成8年に取得し、救急を主に活動していました、その時に地域の救急担当のドクターと知り合い、その中の整形医Gドクターに腰痛治療を受けていたのですが、ナカナカ、思わしい結果が得られずにいたところ。

たまたま、救急担当者の忘年会で他の整形開業医のIドクターに相談したところ、「うちにおいでと」言われ、受信しましたところ。検査の結果、「Sドクターを紹介するから、」と、アレ先生が治してくれるないの。と思いましたが、聞けば名医の誉れ高いとの事。確かに日本で10指に入る名医と一般週刊誌に載っていました。

Iドクターは早く予約して、診てもらって、と、そして・・・・「私から、・・また、ゴルフしましょうと伝えてください。」と託をされました。

受診すると、(予約したのに、2時間なっ待った。)

「いつ手術しますか。」症状を話しただけなのに、いきなりかよ。

かなり悪いから、急いだ方が良いとの事。

しかし、先生は今からだと手術室がうまっているから、調整が難しかな、と、すると横から、部下の先生が、「おきてやぶりがあります。」「おお、有ったね。」とS先生「ゴールデンウィーク中なら、手術室はあいてます。」「そうだ、そうこでやろう。」ってそれ来月ジャン。「セ、先生それはあまりに、急すぎます。私にも都合が、冬まで待ってください。」うーーーー、患者yの言うセリフじゃねー、逆だ言ううことが、しかしこの対応の速さありがたい、患者の事を親身に考えてくれている。信頼できる。と思いました。

Gドクターに教えてやりたい。

そして、腰痛とは、おさらばです。

しかし、この頃から、体重が減り始め、

筋力も落ち、

再び、Iドクターを受診、神経内科受診を勧められ、結果PPS,経過観察5年、今年の2月にCIDPと診断、「CIDPの疑いがありますから検査をしてみましょう。」と言われた時は何の事とネットで見たときは、難病かと涙が流れました、何でこんなことにと思いましたが、いきなり死んでしまうわけでもなし、ゆっくり進んで行く、ようなら少し早く老化したと思うか、と開き直り、しかしそこまで行くには、知り合いのドクターに手当たり次第に電話しまくり、話を聞いてもらいましたが、専門外の事で「何だそれは」と薬の副作用については皆、「副作用はほとんどない。」と言ってくれ、安心して治療を受けられました。

しかし、治療を受けても、バリバリと元気にはならないのが、つらいところ、高価で、貴重な薬なのにああーーー



つづく。