自然界の変動や

世界の国々で繰り広げられる紛争の影響か

ちっぽけな庶民たる私の感覚は

どうも世紀末っぽい翳りをおびてしまう。

私の寿命と世界の平和寿命

どっちが長い?

なんちゃって。

 

やはり自分自身が終わる時のことを考える。

 

クラシックホテル全部に泊まろうなんて

急に思いついたのも

終末感覚(自分の?世界の?)

抜きにしてはなかったような気がする。

どこか

刹那的になっている。

夫を見送った事が一番大きいにしても

この先も孤独であろうこと

一人で生きる老い先は

決して容易ではなかろうこと

そういうことを熟考しても

さほど怖くなくなっていくのだ。

 

平和に生きて

平和に死にたいのはやまやまだけど

元々

孤独死どころか野垂死にだってさほど

哀れとか悪い事とか思わない私は

(若い頃からそういう文学に親しみすぎたか)

みながなぜ、孤独死をすごく恐れたり

誰かに看取られて死にたいとばかり願うのか

あまりよくわからない。

 

人には本当に色んな人生と

いろんな死があるから。

 

※(こんな私だけど

 理解または共感を得られそうなブロ友さんが

 たぶん二人はいてくれる。

 うちお一方は同世代の女性で、

 私より肝が据わっていて、

 その自由な生き方に矛盾や無理がない。

 いつも楽しみにブログを拝読している)

 

誰かがそばに居たって苦しいのは苦しい。

死にゆく孤独は決して誰とも共有できない。

儲け主義の病院や

浅はかな人のトンチンカンな善意に

死ぬ間際まで気を遣うはめになるのが

いちばんイヤかな。

元気な時はいいんだけどね。

私も浅はかだから人の事は言えない。

 

ま、私は夫が死んじゃったから

自分が死ぬときは

もう誰もいらない。

さびしいなぁ、とは思いつつ

さびしいことが嫌ではない。

単なる生き物としては自然かも、と思う。

 

戦場で死ぬ人、災害で死ぬ人

色々いる。

最近では殊更つくづく実感する。

死に方は、生き方の結果だろうけど

世の中、えっ? って感じの不慮の顛末もある。

そういう人たちの死も含め

死にいいもわるいもない。

 

 

今日は洗濯をするか掃除をするか

(一人になってからは洗濯も掃除も

毎日なんかやらない)

頑張って両方するかで

悩んでいられる日本人の私は幸せだと思う。

 

不穏な世の中は私の生死観を

より偏らせるのかもしれないけど

でも、色んなことを教えてくれる。

 

なんちゃって‥‥。

 

今日も

横浜の寿司屋で

大きくて新鮮な殻付きの牡蠣を

意外に安いお値段で食べらる幸せに感謝♡。

豊作?豊漁?

今年の牡蠣、なんかやたら大きい。

 

 

 

 読んでくれてありがとう赤薔薇銃時計