午後から進路懇談に行ってきました
で、なんか、当然分かっていたことなんだけど…
優斗は、やっぱり障害者でした
毎日毎日、「障害者だって頑張ってる」
「障害者のほうが素直で素敵なんだ」
「優斗が障害者だから、私が成長出来ているんだ」なんてきれいごとを思ったり、書いたりしても、やっぱり夢の中で、健常者の優斗をみちゃったり、拭いきれない「健常者に対する嫉妬心」を、ココロの中で消化しきれずに、嵐に依存している私がいます
どんな現実を、今日知ってしまったかというと…
この先、金銭面でも生活面でも、「他人のお世話にならないと生きていけない優斗」「優斗が死ぬまで、私が面倒を見るのは不可能なのか」「やっぱり私のほうが先に死ぬとして、他人の手をかりて生きていくんだな」というようなコトです
ただ、その「他人の手をお借りして生きていく」ことも、悪いことばかりではないと思います健常者である私達ですら、「他人の手」無しには生きていけませんし…優斗は「手をお借りした皆様に感謝して生きていく」ことが出来るならば、それも素晴らしい生き方だな、とは思います
それでも、やっぱりなんだか親バカなのか…
優斗より1日でも長く生きていたい、と思ってしまいます
ん〜、うまくまとまらないな
そう、結果、結局、将来が心配なんです。
それだけです…
とりあえず「優斗が生きるお金」貯めなきゃ