旦那さんが、町内会の子供会に寄付をした
寄付とかチャリティーの類いが
大嫌いな人である
なんならボランティアも嫌い
「自分の稼いだ金は、自分が使うもんだろう」
いつも、そんなことを言っている
旦那さんは、複雑な家庭環境で育った人だ
誰かに頼ることも、誰かに期待することもせず、自分ひとりで生きていくしかなかった
そういう生き方を選ばざるを得なかった人だから、仕方がないのかもしれない
そんな旦那さんが、寄付をした
そのことを知ったのは
子供会の会長さんが
わざわざお礼を言いに来てくれたからだった
どういう風の吹き回しだろう
臨時収入でも入ったのか
帰宅した旦那さんに聞いてみた
「あー、寄付したよ」
ぶっきらぼうな返事
理由を聞いても
「別にいいじゃん」
それ以上、話す気はないらしい
1か月ほど前
台風で被災した地域に、
長男がかなりの額を寄付したと聞いて
「思いはあっても、
なかなか出来る事じゃないよね」
と旦那さんと話していた
まさか、あの影響
その場では、それ以上聞かなかった
けれど、やっぱり気になったので
後日、もう一度聞いてみた
すると、旦那さんはこう言った
「俺は知らん奴には寄付したくないけど、
近所の子供なら寄付できる。
だって、うちの犬をいつも撫でてくれる」
……なるほど
知らない誰かのために
お金を使うことには抵抗があっても
自分の身近にいる子供たちなら話は別
いつも犬を撫でてくれる、顔の見える子供たち
そこには、旦那さんなりの親しみや
つながりがあったのだろう
ここは、わたしも同じ想いだ
でも、寄付は嫌いだったはず
そこには、やっぱり長男の影響が
あったのだろう
長男が寄付をしたからといって、
旦那さんも同じように寄付をしなければならないわけではない
そもそも、誰かに何かを勧められても
簡単に考えを変えるような人ではない
それでも、誰かの行動を見て
心のどこかに何かが残ることはあるのだと思う
その人なりの形で、
誰かを思う気持ちが生まれたなら、
それだけでも十分なのかもしれない
人の善意って、
こうやって広がっていくのだなと思った
誰かが誰かを思う
その姿が、また別の誰かの心を動かす
そして、その人は、その人にできる形で誰かを思う
同じ金額でなくてもいい
同じやり方でなくてもいい
それぞれが、それぞれの場所で
自分にできることをする
そうやって、善意は数珠つなぎになっていく
なんだか、素敵だなと思った
お金の巡りがいいから、
誰かのためにお金を使えるのではない
誰かを思い、その人のために使うことができる
そんな心のあり方がお金の巡りをよくしていく
そんな巡りの中に、わたし達もいるのだと思う
