なにを笑っておるのかの^^♪
お主が笑顔で楽しくおることはのう
ワシらも楽しくて
世界全体も楽しいことなのじゃよ♪
どんどん
自分を楽しませてあげると良いのう^^♡
苦しませることはもう卒業じゃよ!
お主の心地の良さを最優先することじゃ
胸がザワっとする
心に雲がかかる
モヤッとする
それは
そこから離れなさい^^
というサインじゃ
お主の心を
なにより信頼するのじゃよ
安心せい
必要なものはすべて用意されよう^^
準備をしっかり整えておくのじゃ♡
いつでも出発できるようにのう
イメージを濃く
アリアリと思い起こすのじゃ
ワシらもサポートしておるからのう!!
いつもそばにおるぞ^^♡
こんばんは。
今日は風の強い日でした-。
どう過ごされておりましたか?
今、
今日は、何を書きたいかなぁ-。。と考えているのですが。。
こうやって考えているときが一番ワクワクです。。
(さらに、先ほど、めっちゃイイ文章を拝見して。。
そんな文章に出逢えた日は、猛烈に嬉しい)
以前、お話しした「幸せ限界」のこと。。
もしくは、この10年間でなにやらずっとシンクロが多い八ヶ岳に行きたい話。。
。。幸せ限界のお話にします
簡単に、お話すると。。
私の、幸せの限界設定が、母のものであったと。
何十年も、そこが限界だったことに、結構最近気づいたのです。
(アダルトチルドレンのことを知ったり、インナーチャイルドの癒やしなどのワークの中でホロッと見えて)
「上を見てもキリがない、下を見てもキリがない」
曾祖母の口癖であったとのことで
曾祖母に育てられた母は、その言葉をしっかり受け継ぎ、
私たち、子どもにも伝えていたのです。
+
「あなたたちは、親と暮らせるのだから、幸せよ」
この言葉も、小さな頃、よく聞かされていたなぁ、と。
最近まで、思い出しもしなかったのですが。。
ココが↑母の幸せ限界であったのです。
だから、それ以上を望む事は、許されてはいけないことだった。
そして、私も。
母の幸せ限界を超えてはいけないのだと思い込んでいたのだと。。
長年、ずっとロックがかかっていたことがわかってしまったのです。
他人と比較することをせず。
今、あるもので満足するということ。
一見、
慎ましく、自分で在りながら、幸せで美しい生き方であるとも見えるけれど。
奄美の踊りを、90歳でも美しい手つきで踊ってみせてくれた曾祖母も、
その曾祖母に育てられた母も、
否定するつもりは全くないけれど
なんとなく、願いが叶いそうなことが何度か起きそうだったときも、
自分で、壊してしまっていたのは、、この観念があったから、回避していたのだな、と。
今のタイミングで。
気づいてしまうというのは。。
代々受け継がれてきた家系のカルマ的なものがクリアになってきた
ということもあるのかな、とも。
今、ちがう人生を歩む道が、すこし見えてきていて。
母の幸せの限界を、私は超えてもいいのではないかと。
おそらく、最近見えてしまった芽吹きのイメージは、、
新しい、自分自身の芽なのではないかと。
これは、、
ご先祖様方は、なかなかに大喜びなんじゃないかなと。思ったりしております
子孫、ちょっと頑張ってます
∞愛~光~感謝をこめて
真理