子連れママ受難、スマホで病院予約してたら他人にブチギレられた理由は?
もはや生活必需品となったスマホ。どこに行っても必ず1人はスマホをいじっている人を見かけます。ところで、そのスマホをいじっている人が「子連れ」だった場合、あなたは気になりますか?
実は、スマホを巡って理不尽な目に遭ってしまった母親の話が、いま注目されているようなのです。
発端となったのは、2019年5月15日にTwitterに投下された次のようなツイートです。
『電車の中でスマホいじってたらいきなり見知らぬおばさんにガッと手首を掴まれ、
「あなたが見なければいけないのは! スマホじゃなくて!! 子どもや!! !」
と鬼の形相で言われました。私がベビーカーに乗る息子放置でスマホをいじってたんは、今から連れて行く耳鼻科の予約とるためです』
このツイートは1万4000RT(リツイート)されるほど反響を呼びました。投稿者はその後のツイートで、診察券を相手に見せ、病院の予約をしている旨を示してもなお、怒鳴られたことを語っており、多くの同情の声が寄せられました。
この出来事が起こってしまった原因としては、まず「盲目的な正義感で攻撃的に人を裁こうとする人」の存在が大きいように思われますが、「スマホ=ゲーム、スマホ育児=悪」という価値観と「スマホ=便利なツール、スマホ育児=時に有用な現代流の育児」という、2つの価値観が世間にあることも背景として考えられるでしょう。
スマホは便利な機器である反面、動画を見たり、ゲームアプリを楽しんだりできることからも「スマホいじり=遊んでいる」と捉えている人は少なくありません。また、スマホに夢中で子どものことを放置する親もいるのは事実です。
「ギャン泣きしてたり、子供が話しかけてるのにずっと無視してスマホいじってる親は本当に軽蔑する」
「コンビニとかスーパーで、子供達が走ったりはしゃいだりしているのにも関わらずスマホばっかり見ているのが目に付く」
など、子どものことを顧みない、注意しない親は、確かにネット上でもよく非難されています。
また、育児以外の場面でも、
「今の若者はスマホでゲームばっかりしてる」
「いい大人がスマホ歩き、いい大人がつり革につかまらずスマホゲーム必死にやっている」
「ラッシュ時にスマホ見ながらチンタラ電車降りる奴ってホント邪魔。後ろから蹴りたくなる」
などのように、スマホの使い方について憤る声は数多く見受けられます。
しかし一方で、現役育児世代などからの同情としては、次のような声が集まっています。
「スマホ、育児にも必要なツールになってる事を、上の世代にも理解頂きたい」
「子どもから目を離すのは危ないかもしれませんが、スマホ操作しなければ効率的に生活出来ない世の中になっているんですよね」
また、育児に限らず、
「今は何でもスマホ使うんやから、それが経路の検索だとか家族との連絡だとか、必要なことだってのは普通のこと。安易に娯楽やってるって思わないで欲しい」
という声も寄せられており、さまざまなことがスマホでできる時代に、未だ「スマホ=遊び」という偏見に辟易している人も多くいるようです。
確かに、上記のように、スマホをいじって子どもを顧みない親や、公共の場で大きな音を立ててゲームや動画に夢中な人、周りのことは気にかけず画面を見ながら「スマホ歩き」している人もいます。そうした行為が少なからずスマホに対する悪いイメージを増幅していることは否めません。しかし、多くのことがスマホでできる時代、効率化のためにスマホで情報を集めたり、育児のためにスマホを使ったりする人も多いのです。
また、スマホ育児については、見ると多くの赤ちゃんが泣き止むといわれる「泣き止み動画」なども存在し、単に楽をしたいという理由からではなく、
「電車内で大きな泣き声を上げたりすると申し訳ない」
「特に混んでる電車は乗ってる人もイライラしているので、子どもの泣き声で周りを変に刺激したくない」
といった気遣いから、自分の子どもにスマホでそうした動画を見せる場合もあるようです。「スマホ任せの育児」は確かに問題ですが、こういったツールもあることは広く知られてほしいところです。
スマホに夢中で子どもを放置しているように見える親がいたとき、純粋な正義感から注意したい気持ちもわかります。今回の事件に出てくる「見知らぬおばさん」の発言も、子どものことを案じてのものではあるでしょう。
ただ、実際に行動する前に、「本当に放置しているのか?」「どこかに連絡を取っている可能性はないのか?」なども考えたほうがいいかもしれません。また、たとえ本当に放置だとしても、最初からケンカ腰になるのは避けたいところです。
最近では、千葉県野田市での虐待死や、東京・青山の児童相談所建設反対の問題が起こったときなど、「子どもは親だけではなく、社会全体で育てていくものだ」という話はよくいわれます。今回の件のような「悲しいすれ違い」を少なくするためにも、いまの育児について知り、子どもを見守ろうとする気持ちは大事にしたいものですね。
クロスメディア・パブリッシング
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190521-00011196-toushin-life
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ありそうな話・・・と思いました。
ある双子ママさんは、
子育てするまでは
スーパーなどで時々見かける
子どもが床に
ひっくり返って泣いている
光景を目にする度、
「あれをさせちゃう親には
ならないようにしよー」
と思ったそうです。
が。
育児をして、イヤイヤ期を迎え
分かったそうです。
仕方がないこともある。と。
「あれをさせちゃう親」呼ばわりした
そう思った過去の相手に
ごめんなさい。と。
結局、自分の身に起こったことしか
判断しようのない事って
たくさんありますよね。
もしくはその人や
物事の背景を知った時に
気づかされて分かること。
私は昔、小学生くらいまで
ものすごく怒りっぽくて
THE短気!という人でした
夢の中でもほぼ怒っていて
昔を振り返ると
疲れる人だったと思います。
いつからか、
怒ることは疲れるだけではなく
自分自身が嫌になることだと思い
「怒り」をなるべく手放したいと
思うようになりました。
誰かに酷いことをされたとしても
それを根に持っていいことなど
1つもありません。
家族のことでもそうです。
例えば、子どものことで
子どもがケガをさせられたとか
酷いことをされたとか、
そういう時に怒りが消えないこと
自分のこと以上に怒れるなんてことも
あります!!
でも、本当に疲れます。
怒っても仕方がないことですし、
いつまでも不快な気持ちに囚われること
自体がまた腹立たしいことですし。
私が怒りの多くを手放した方法は
いくつかありますが、
その内の1つは、
見えない相手の背景を
想定してみるという方法でした。
例えば、車に乗っていて
割り込んでくる車に対して
「なんなの!?危ない!!!」
「図々しい!!!」
「しかもハザードもなしで!」
などと怒ってしまう場面があったなら
自分がやってみたとします。
相当の理由があって、
やむを得ない状況なんだと
想像してみます。
「妊婦さんが破水してしまって
一刻を争って先に行きたい。
気が動転している状態」 とか
「誰かが危篤になって
普段は守っているルールやマナーも
申し訳ないけれど守れない状況」とか
「深刻な下痢が襲ってきて
もう猶予がない!」 とか
できるだけたくさん挙げます。
よっっぽどです。
一生に一度あるかないかの場面
だったとしたら
割り込むことは全然ありえます。
想像を広げて
「そんなに大変な状況・・・
どうか間に合いますように・・・」
と相手を思いやれる
優しい気持ちが出てくるくらい
まで続けます
私の先生に
懐がハンパなく大きい人がいます。
この先生はこういう
「もしかしたら・・・かもしれない」
という想像力がとても豊かです。
選択肢をたくさん用意できて
仕事も大成功を収めている方です。
心理学の本を読んだり、
こうした先生に出会ったりして
「怒り」の感情については
自分をどうコントロールするか
自分をどこに導くか
試行錯誤してきました。
相手のことは分からないので
どういう可能性があり得るか、
それを考えることしかできません。
なるべくなら、
批判するとか怒るとかいう立場よりも
理解者視点になれた方が
楽だと思っています。
それに怒っている人に、
「こうかもよ?」
「ああかもね?」などと
選択肢をあげると、
すーーーーっと怒りが収まる
人がいます。
こういう人を見ていると
やっぱり必要以上の怒りは
手放せた時に楽になるんだな~と
思います。
もちろん、今も全然
怒ることもありますが!!
怒りたい時はあるので。
人間なので。
半笑いくらいで怒れるのが
一番楽しいのです
今は、大抵の人に
血液型「O型??」と聞かれます。
おおらかになった証拠だと思っています。
おすすめします
何かに怒れた時は、
自分に置き換えて、
相当すごい場面であることを
いくつも想像すること