まず、第一にわたしには「結婚願望」がありませんでした。





一生、1人の人と向き合い続ける自信がなかったからです。






それが
最愛の人を失い1年後
結婚をしました。






次なる課題は『子供』です。




わたしは結婚当初、一生彼と向き合い続ける自信がない状態のまま
また新たな家族を迎える決断はできず

避妊に失敗した際、モーニングアフターピル(緊急避妊)を行いました。



これにより受精しにくくなるコトと受精していても着床しにくくする効果があるからです。

(ちなみにこの行為は中容量ピルを一定期間一定量を服用するコトにより
ホルモンバランスを変えるので法的には堕胎ではなく、多くの医師の間でも堕胎とは見なされません)。


…が、
一例をご紹介した様に個々により、堕胎と見なす方もいられる様です。





ただ医学的には堕胎とは見なされないと医師からは聞きました。
そこで先に述べた『どこからが命とみなす』かという点で意見が分かれる部分かもしれませんが





わたしは受精卵が着床し、妊娠と医師から診断された時点で『命』としてみなす見解なので
モーニングアフターピルを服用しました。





結果、数日後に消退出血(生理)が来て
着床できる子宮環境にはなりませんでした。





でも、あの時
自分が多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)で不妊症だったと知っていたら
妊娠を希望し、着床の可能性があったならば
賭けてみたかもしれません。





ないものねだり。
のタイトルはこの意味でした。






できちゃった婚に憧れを感じたりします。





ないものねだりです。






もし、できちゃった婚をしていたら?
もし、正しい避妊をしていなかったら?

今だから思えるコトです。





実際、その場面に立ったらわたしはきっと勇気がなく産むコトしかできなかった気もします。





今、赤ちゃんが欲しい訳でもありません。
現に排卵誘発剤を使用するつもりも排卵が起きるか試してみる気もありません。





妊娠を望んでいないからです。






しかし、色んな感情があります。
不妊症と闘っている方(友達でもいました)をみるとわたしも!!
なんて思ったりもします。





今まで、できちゃった婚を拒んで来たわたしは皮肉にも治療をしなければ妊娠できない体だと知り



つい先日のコト
途中からではありますが、ある地域のドキュメンタリーを見ました。





そこは服をまとう習慣のない地域でした。
最初から見ていなかった為、どこの地域かわかりませんが


『命』に関する初めて聞いた見解を見ました。






ある14歳の未婚の女性が妊娠しました。
その地域では妊娠から分娩を行うのは当たり前で、堕胎という方法はありませんでした。




ですが、
ここからが初めて聞いた『命』に対する見解なので、ビックリしました。


その地域では分娩には一切、男性は関与せず
妊娠した女性のみが全てを決めます。
全てを決める?
堕胎がないのに?


とわたしは思いました。





何を決めるかというと
分娩後、
『命』とするか『聖霊』とするかというものでした。




その地域での『聖霊』という意味は天に返すという意味でした。



分娩後、『命』にしないのであれば女性は一切
その赤ちゃんには触れません。






そして、赤ちゃんが泣かなくなり
呼吸をしなくなったら
葉で包み、白アリの巣にします。
それが『聖霊』にするというコトでした。




日本でいうと
保護責任者遺棄になるのでしょうか?
罪状はわかりませんが、日本では罪に問われる行為ですが
その地域ではあくまでも妊娠した女性が1人で分娩後に悩み、
『命』にするか『聖霊』にするかを選択するのです。





それがその地域での
『命』に対する見解でした。





この話しを出したのは
国や地域、宗教や習慣により
本当に多種多様な『胎児』とするか『命』とするか『違った言い回し』にするかいろんな見解があるというコトをお話ししたかったからです。





先程の記事にも申し上げた通り、否定も肯定も致しません。
ここで述べたいのはわたし自身の『妊娠』に関しての思いですから。





わたしはいわゆる日本で言われる『妊娠』をした場合、
それはわたしにとって『命』なので、産むコトを前提に
という思いがありました。





なので、
産むならば わたしにとって伴侶も必要不可欠だったのです。




わたしには1人で産み、育てる勇気がないので、
結婚という段階を踏んでから『妊娠』そして出産という選択肢しかなかったのです。





ですが





これから記すコトは
「わたしのわたしに対する気持ち」であり、
第三者に対する批判や偏見を意味するものではありません。




あくまでも、わたくし個人の問題です。












*************

できちゃった婚。

周りにたぁーっくさんいます。


できちゃったけれど、産むコトを選択しなかった人もいます。
いわゆる望まない妊娠だったのでしょう。





わたしが「妊娠」をする時は

望まないのであれば、正しい避妊をするコト。
望んでいるならば、順序(結婚)を踏まえてからの妊娠。


というものでした。







……が、
その反面、日本ではあまりない傾向ですが
アメリカではしばし見られる傾向
結婚はしないけれど、彼氏彼女というカップルの関係のまま「出産」に踏み切るパターンも『あり』かな
と思います。






思いますが、自分自身では到底
計り知れない困難のもとそんな勇気あるコトはできません。





ただ、わたしが『妊娠』に対して変わらぬ思いがただ1つありました。


あくまでも自分自身のコトで第三者に向けてのものではありません。
わたしの思いです。

犯罪に巻き込まれた妊娠や母体の基礎疾患による産めない状況下、またやむを得ない事情により
出産が困難な場合(←わたしの言うこれが意味するところは¨母体保護法¨に基づくものではありません。なぜならば、経済的事情という名のもとで安易な堕胎が行われている現状があるからです)
を除き、妊娠をしたら産むのが当たり前だという思いがありました。





この思いを第三者に押し付ける気も今まで第三者を否定したコトもありません。



しつこいですが
あくまでも、わたし自身が『妊娠』した場合の思いです。





また妊娠というのは
国や地域、宗教や習慣それぞれにより定義が違いますが
(例えば、精子と卵子が受精し受精卵ができた時点で妊娠とみなすところもあれば
受精卵が着床してから妊娠とみなすところもありますし
同じように『胎児』として、みなす範囲は広いです)。
わたしはこの部分に関して、誰かと議論するつもりも誰かを否定するつもりも自分を肯定するつもりもありません。





少し話しがそれましたが、『胎児』もしくは『命』とみなされる範囲は本当に幅広く
一例をここに残してから、本題に入りたいと思います。