能登守教経(のとのかみのりつね)と知盛が平家を代表する猛将なら、
平維盛は一族でも一、二を争うヘタレです。
容姿は美しかったようです。
平清盛の嫡男、重盛(しげもり)の息子なので、清盛にとって孫になります。
知盛にとっては、甥っ子です。
維盛の美貌は有名であり、舞楽「青海波(せいがいは)」を舞った折には、「光源氏の再来」と讃えられます。
『源氏物語』の第七帖「紅葉賀(もみじのが)」で光源氏が同じく「青海波」を舞ったことに由来しています。
舞の時、烏帽子(えぼし)に桜の枝を刺していたことから「桜梅少将」とも呼ばれたようです。
評判の貴公子でしたが、源平合戦の「富士川の戦い」で平家側の総大将として参戦し、
なんと!水鳥の羽音にビビって、戦わずして敗走します。
清盛は激怒、維盛の評価はガタ落ちです。
さらに、「一ノ谷の戦い」にも参加せず、「屋島の戦い」を前にして脱走。
敵前逃亡です、これはヒドイ。。
結局、出家して入水したようですが、妻子恋しさになかなか入水できず、、、武将には向いてなかったのでしょう
入水したことにして、実は逃げていたりして。。
壇ノ浦では、平家の総大将、平宗盛(たいらのむねもり)がやはり入水をグズり、船の上でウロウロしているところを
「ええい、見苦しい!」と同じ平家の武将に突き落とされたとか。
宗盛は泳ぎが達者だったので死にきれず、結局、源氏に生け捕られてしまいます。
維盛も宗盛も人間くさいのですが、大将がこのようなヘタレだと士気も下がりそうです。
さて、維盛の妻は平家打倒を企てた「鹿ヶ谷の陰謀」の主犯格である藤原成親(ふじわらのなりちか)の娘です。
史実では、この方が六代の母なので、劇中「若葉の内侍」に当たります。
「鹿ヶ谷の陰謀」には、俊寛も関わっていますね
写真はホタルブクロです。