4月21日 (亡くなった母、忘備録 ②) | しんりの自己中心日記

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シングル(死別) 私。
平成11年1月18日生まれの三つ子
長女 長男 次女の 4人家族。

アメ限に書いてる事は 主人の
進行膵頭部癌で 約6年 の闘病記。
家庭内別居での 発病で、彼のわがままから
私が 軽い鬱になったので、ボロクソな
事 書いてます。

私は 13日(土)に母のホームに泊まる


14日(日) 姉が来てから 昼前自宅に帰る。


姉は 15日の週は なにかと 校内や市内で

会議があったり 

市外に出張があったりで


まー もしもの時は 全て 代わりの方や

新年度始まったばっかりだから

日にの変更ができると。


施設からは緊急時は姉に連絡が行くが

姉と直接話しが出来ない場合は

私に連絡が入ることになってた。


だから ホームに入居した当初から

正直 お風呂場の脱衣室や

寝る時もマナーモードを解除してた。




検索すると

高齢者の場合

食べれないと 4.5日

水だけなら 2週間ぐらい とは

書いてあった。



3月末だったかな

母の所にいた姉に 介護士さんが部屋に来て


『ここだけの話しなんだけど、

看取りだから 本人が食べれないと

介助はするけど、介護士の中には


○○さん(母)は看取りなんだし

介助しても食べないなら

無理に食べさせなくても と言う人も

居る』と言ったらしく


姉は 確かに看取りなんだけど

食べさせて欲しいと思うと。

ショックだー とメールが入ってた。






姉が泊まった14日(日)

午後の血圧、体温、サチュレーション は

通常通り。


食べてないのに 便が出る

聞いたら 下血 とのこと。


痛み止めの貼り薬(医療麻薬)の一番小さいのを毎日交換。


飲み薬として

血尿があったから 止血剤、

抗生剤、眠剤、を飲んでたが


食べれない

飲めなくなってからは 飲み薬は なし に

なった。





14日22時半にも オムツ交換で

下血だったから

お尻を拭いてもらい

新しいオムツにする時の身体を横にしたら


母は 『痛い 痛い』と。


でもそのうち(23時半ごろ)

スースー言いながら寝てたから

姉も 休み開け月曜の仕事のこともあり


ベッドに横になった。



私は 月曜は 10時には 母のホームに

行く予定にしてて

簡易ベッドがあるなら 毎日夜は母のそばで寝る

お風呂は 電車で15分で着く姉宅に

昼間行き 入るつもりではいた。




15日の夜中 自宅で寝てたら 家電が鳴ったが

子機が取れず切れてしまった。


スマホをみたら 姉から

『目が覚めたから お母さんを見たら

呼吸してなく、触ったら 温かく

コールブザーを押し 介護士さんにきてもらったが 血圧も計れず、亡くなった様子。

とりあえず メールみたら

電話ください』と。


メール見ながら (隣りの部屋から長女もきた)

子機から姉のスマホに電話。


『推定 0時55分ごろの死亡。

クリニックの先生が今から来るから

貴女は 今は来なくていいから

始発で来て』と。


姉が 『(自分がいたのに)

お母さんを一人で逝かせてしまった』と言うから


側に居たのだから いいのでは?とは

話したが。


まだ温かったなら きっと母は

姉を起こしたんだろ。


電話切ってから

始発の確認し

姉と数回メール


葬儀会社は24時間営業だから

電話だけでもしとけば と私から姉に。



少し寝よと思ったが 寝れず

4時に支度をして

始発が5時過ぎで

ホーム最寄り駅に 6時40分着


途中で、お義兄さんに会う。

(6時になったら電話すると姉から聞いてたから

すぐ支度して来たんだろう)


7時前には母の部屋に。


とても、良い顔してた。


冷房入ってる。

アイスノンみたいのも身体に。


姉は8時過ぎに職場に電話し

今日から7日の忌引き。

(お義兄さんの場合 義母だから忌引き3日間)



お義兄さんは9時すぎ会社へ。


10時に葬儀屋さん。



姉と話してたのは

母を葬儀会社はどうやって 運ぶのか?

まさか一台しかないエレベーターしかないが


実はご遺体用のエレベーターがあり

裏に駐車場もあるから

他の入居者さんに見られないように…


と話してたが



葬儀社担当者が部屋に来たから

少し外したが

廊下に出たら

ストレッチャーがあり

もう一人葬儀社の方がいた。


三階は コロナ陽性者がいたから

入居者さんは各自の部屋。


で、まさかまさかの

通常のエレベーターで母と一緒に降りて


まさかまさかの正面玄関から

出た。


職員に見送ってもらい

姉は自分の車

私は母と一緒に 葬儀社の車で


施設を後にしたが


正面玄関前は 住宅地。


寝台車ではなく

母のストレッチャーが入る

大きな車だった。



一階は 入居者さんたち談話室にいたな〜。



まさかまさかなびっくり😱なこと。