”アライブ第4話 抗がん剤治療の不妊と、死別の悲しみ” | しんりの自己中心日記

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シングル(死別) 私。
平成11年1月18日生まれの三つ子
長女 長男 次女の 4人家族。

アメ限に書いてる事は 主人の
進行膵頭部癌で 約6年 の闘病記。
家庭内別居での 発病で、彼のわがままから
私が 軽い鬱になったので、ボロクソな
事 書いてます。



私も 死別 なんだけど。

夫婦仲は よくなかったからな〜。




正直 死別からの 不調は なかった。

ただ、死後の あの 『色々な書類の多さ』には
嫌気がさした。



私が不調になったのは

最初の手術後 入院三が月目に
あまりの 旦那の勝手さに


色々考えると 泣けて泣けて

『あっ! 私 おかしい』って

母と姉にも 話して

保健所に来る 精神科医や
心療内科。
最後は 旦那の主治医に 話したけど、

共通するのは

『旦那さんの お母さん達にも話をして
一人で抱え込まない事』と。

でも、お義母さんに話しても
『あの子は わがままで勝手だからね〜』と。



最終的に 私が決めたのは
『退院しても私は彼の面倒は見ない‼️』


『私は 母と姉に助けてもらい
子ども達(当時 小五)の面倒を見るから
貴方の事は 何にもしない』と

手紙にして 渡した。

(退院後の食事面の 栄養指導も 彼から
看護師が一緒にって言ってるとメールが来たけど、行かなかった)

退院後 彼には 実家に帰ってもらい
外来で帰宅し一泊し また実家へ。

そんな生活を 半年ぐらい。


いつのまにか 私の不調もおさまった。