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もう陽は落ち、辺りはどんよりとしだした。

電信柱から枝分かれした外灯が、あと一歩のところで点灯できずに、不規則に点いたり消えたりを繰り返していた。

アキコは正門の前で地面にへたり込んだまま、膝を抱えてうつむいていた。


「あらら、どうしたんや?」


泣き腫らした顔を、皺を寄せ集めた顔が、覗き込んできた。


「何があったの?」


一人の見知らぬおばあさんが痛々しい同情の眼差しを向けながら訊いてきた。


アキコは恥ずかしいのと、心の中が整理出来てなくて説明ができないのとで、ただ黙っていた。


「こんな所に居たら風邪ひくわよ。すぐそこやから、うちおいで。」


い、いえ、いいです。帰れますから。


「体、冷えきっとうやないの。コーヒーいれたるさかい。ホットカルピスも、あるよ~。ほら、女の子がこんなとこでへたり込んでたらあかんよって、ほら。」


おばあさんはアキコの腕を掴み、半ば強引に立たせた。


でも…。


「心配せんでええの。私一人やから、気ぃ使わんでよろしい。」


結局アキコは引っ張って行かれた。


「すぐそこやから。あなた、あそこの生徒さん?」


はい。


「何年生?」


二年です。


「そう、おばちゃんもあそこの学校行っとったんよ。もう何十年も前の話やけどね。そうなの。はい、着きました。」


おばあさんの「すぐそこ」に偽りはなく、歩き始めて二言三言交わしただけで、目的地に着く程だった。
そこはアキコ達の通学路に面して並ぶ住宅の一つで、ひときわ植木が生い茂る様子が印象に残る家だった。

「さぁ、上がってちょうだい。」


アキコは門の前で立ち止まり、少しの間、中空を見つめていた。


「どうしたの?遠慮せんでええよ。」


アキコはおばあさんの呼びかけに全く反応を示さない。ふとした時に、外界を遮断するいつもの癖が出たのだ。
その時アキコは、この家の植木をバックにしたサチコを思い出していた。

朝の柔らかな光に包まれてこの坂を登るサチコ。
純白の夏服をオレンジ色に染めてこの坂を下るサチコ。
サチコは笑顔で、美しかった。


おばさん、ごめんなさい。やっぱり帰ります。


深々と頭を下げて、アキコはすっかり暗くなった坂を下りた。

「そうぉ、気ぃつけてね。」

おばあさんは心配そうにアキコを見送った。



月曜日の始業式、サチコは学校を休んだ。
次の日も、その次の日も来なかった。

水曜日あたりから、クラスがざわつき始めた。
とうとうサチコが学校を辞めたという噂が飛び交うようになった。
三宮のおっさんの子供をはらんだだの、一家で夜逃げして行方を眩ましてるだの、父親が警察に捕まって、顔を出せなくなっただの、死んだだの、酷いものだった。

この醜い言葉の渦の中心には常にミキ達がいた。
この醜い言葉の渦の只中で楽しそうな彼女らを、アキコはこの時ほど軽蔑した事はなかった。

だが、魔物のような彼女らの口を閉ざす事など、アキコにはできるはずもなく、ただ耐え忍んでいた。

やがて魔物の関心は、はっきりとアキコに向けられるようになった。
金曜日の朝から、露骨な無視キャンペーンが開始された。

ところが明くる土曜日、サチコが制服を着て登校して来た。
クラスの反応は多少あったものの、無視キャンペーンは継続され、その対象はサチコにまで広げられた。

それでもアキコにしてみれば、サチコが居るだけで、何よりの救いになったのは間違いなかった。

この日サチコは、マスターに薦められて、学校に状況を説明して、退学せずに済むように、相談しに来たのだという。

アキコには、サチコに学校を辞めなくて済むのかとか、お父さんの容態はどうかとか、聞きたい事は山ほどあった。
だが、その時のアキコは唯一の親友と会えた喜びを、ただ噛みしめていた。

帰り道、ひときわ目立つ植木の家の前に差しかかった時に、アキコはサチコの頬にチュッとキッスをした。


「ちょ、やめてよう。」


えへへ、いいやん。あ、おばさん!このあいだはどうも。


突然アキコは、坂を上がって来るおばあさんを見つけて元気に声をかけた。


「こないだのお嬢ちゃん、いやぁ、可愛らしいねぇ。お友達も。ほら、コーヒー飲んで行ってちょうだい。」


いえ、いいです。おばさんありがとう。


そう言って、アキコはサチコの手を取って、坂を下った。
サチコには何が起こったのかさっぱりわからなかった。

二人は三宮の駅で別れた。日、月の連休明けの火曜日の朝、再び同じ場所で会う事を約束して。
しかし、この約束は果たされる事はなかった。

平成七年一月十七日火曜日の早朝、神戸とその近隣の街を巨大地震が襲った。





K.C.

078-004-0062

サチと別れて高速長田駅から

ここまでどうやってたどり着いたのか記憶はなく

足の向くまま気づくとアキコは

明日から始まる学校の正門の前に立ち尽くしていた




家を飛び出した勢いそのままにサチの家に着いて

緊張半分と楽しみ半分にインターホンを押すと

重そうな音を響かせながら開いた扉から

疲れきったサチの顔がみえた


初詣来なかったこと連絡なかったことを聞くと

今から出かけるから歩きながら話すといわれ


先にごめんとかじゃないの

アキコは苛立った


サチは大きなバックを右肩に引っ掛けて出てきた

今から病院行くから

アキコの心を覗いたかのように先に答えを言われた


この前はごめん、連絡しようと思っててんけど、それどころじゃなくて・・


実はオトンが倒れて病院に運ばれてさ

その時、たまたま一緒にいた人がマスターとも知り合いやったから

マスターに連絡くれて、そのまま病院でさ


アキコはただ相槌をうつことしかできなかった

やっと出てきた言葉が

大丈夫なん?ていう陳腐な言葉で恥ずかしかった


サチは足早に歩きながら続けた


過労と風邪こじらせて倒れて

また倒れた場所が悪くて階段から転げ落ちてさ

一時は意識不明やって

今は意識戻ったし脳とかにも以上はなさそうみたいやから

当分は入院やけど


良かったとしかアキコは言えなかった


サチはバックを左肩に掛けなおし足早に歩き続けた

その横を下を向きながらついていくアキコ

二人は無言で歩き続けた


明日は学校やけど休むよね?

アキコは何気に出た言葉を恥じた


サチは立ち止まって冬空を見上げながら


私・・芸大もあきらめるし、あの高校もやめるかもしれん


その簡単な言葉の意味がアキコは一瞬理解出来なかった


公立の高校でいいのにさ

もともと今の高校行くほどうちの家は余裕ないねん

それをオトンが無理してさ、行けて入ってんけど

今回の過労も無理した働きすぎやねん

何でオトンがあの高校にこだわったかやろ?

あの高校はな・・お母さんの母校やねん

私が幼いころにお母さんの高校の時の写真をみて

お母さんと同じ制服着たいてゆうたのを覚えててさ

その頃と制服も変わってるのにね


ただただ、アキコはサチの横顔を見つめていた


お母さんが亡くなったときオトンはいなくて

子供ながらに腹がたってさ

そんななか親戚の人らが

お母さんが亡くなったのはオトンのせいやて

マスターがそんなことないとかゆおうと

もう完全に幼い私はオトンが悪いやてね


オトンに幼いころさ

泣きながらお母さん返してて何回、何十回ゆったか

オトンはその度にただすまんて繰り返してた


すごい罪よね・・

最愛の人を亡くして傷ついて、自分の子供にそんなことゆわれて

もちろん今は、そんなことないて理解してるし

中学生ぐらいにはわかってた


目を閉じたサチの目から涙が頬をつたった


だから、オトンの中では償いなんやろうね

だからもう償いは終わり


サチはアキコに向かい合って


また落ち着いたら連絡すると残して

足早に去っていった




アキコは正門の前に路上駐車された車の汚れた窓に移る自分の姿を眺めた


部屋に転がってる服を適当に着て、家を飛び出してきた

ストライプのパンツにチェックのコートが写ってる


まるで汚れたピエロやなと思いながら、いやピエロにもなれてないか

私が親に相談するてゆうてもサチはきっと喜ばないし受け入れない

マスターでも同じだろう


何も出来ない自分に悲しくて腹がたった

アキコはうずくまって人目もはばからず泣いた


N.F


078-004-0061

結局、あれからサチコとまったく連絡がとれてない。
サチコから電話がくることもなければ
うちから電話することもなかった。

「今日で冬休みも終わりや……」

初詣もいってへんし
トゥーム・ストーンにもいってへん。
冬期講習もサボりがちやった。
内容のうっすい冬休みやったわ。

明日から学校が始まる。
サチコは顔合わせたら普通に「おはよ」っていうんやろか?
初詣の日のこと、なんていってくるんかな?

いや、そもそも明日、サチコは学校来るんやろか?
ちゃんと会えるんやろか?

元旦に
サチからきた年賀状をみたとき
初詣に誘われたとき
あのときからサチとうちの時間はとまったまま……。


なんか妙な気分やった。
いてもたってもいられんかった。
すぐに身支度をすませ、家を飛び出した。



a.s

078-004-0060

冬至を過ぎてからまだ1カ月も経ってないわけやから、
日が沈むのは早かった。


午後2時にバイトあがるからって言ったわけやから、
2時半にはここで落ち合えるはずやったんちゃうの?


ミッキー軍団との遭遇はあったものの、
新しい年を迎えたちょっとした高揚感と、
サチとマスターと出かける嬉しさが掛け合わさって、
口笛も鼻歌もすらすら出てきていたのに。


3時半を過ぎたころから、底冷えが気になり始めた。
45分ごろから、カイロいじりが止まらなくなった。
マフラーを少しきつめに巻き直した。


もう限界だ。
腕時計で4時を確認したら、何も考えられなくなった。


寒さが体にしみこんで、心まで凍ってきた。
外が暗くなるに従い、心まで暗くなってきた。


気づいたときには、神戸駅のホームに立っていた。
水色の電車が止まり、人の波が動いて、去った。
オレンジの電車も止まり、人が動いて、走り去った。


何本見送っただろうか。

暗くなった空から、白い粒が舞い降りてきた。
よどんだ目から、透明の粒がこぼれてきた。


N.K

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「年末から、ずっと風邪気味で」
と他愛も無い嘘をひとつだけついて
1時にバイトをあがらせてもらった。


クルー(マクドではスタッフじゃなくてそう呼び合う。
なんのこっちゃわからへんな)の控え室で着替えを済ませ
よそ行き用の化粧を急いでしてドアを開けたら
「いまからデート?」と店長にいやらしい、悪意のある、
ほんとうにスケベそうな感じで言われたので
「おつかれさまでした」と目も合わせずに駆け足で
店をあとにして今は電車の中。


冬のつんと冷たい空気は
バイトから店長から解放されたせいもあって
心地よくて嬉しくって。


なんとはなしにうちは口笛なんか吹き始めてて
(うちはそのへんの男より口笛が上手だと思う)
だけどその曲がゴジラのテーマで
ああ、昨日、弟が借りてきたビデオのせえや。
あの子も中学生なのにゴジラって。
いつまでたっても男はアホやなあ。あほらし。
なんて考えてたら駅について
正月の雑踏をすいすい抜けてあっというまに
楠公さん。


さすがに元旦のそれで
生田さんの眺めより少なくみえるけど
でもそれは門の感じと言うか
空のスペースが広くって
結局、今、生田さんにおる人数と
変わらへんような気もしてみたり
なんやわあわあしてて
お祭りやねえ。


うちはイヤホンをして
カバンの中にいれたまま
ウォークマンの再生ボタンを押す。


盆や正月とは
一番遠いところにある
ポップミュージックを
聞きながらうちは
きらきらに飾った元旦の顔たちが
門へ、門へ
どろどろに吸い込まれていくのを
眺めとった。


自分は皆からは見えないのや。
透明で、誰も気付かへんのや。
という設定でポッケの中の
ホッカイロをごそごそしながら
眺めとった。


ふいに肩を叩かれて振り向いて

その時うちはどんな顔しとったんやろ。

それは待ち人やなかったから。
待ってへん人やったから。

「なんしとん?」

ミキ、ヒトミ、マキ。
その後ろにブタシャカ。

ミキは持ち前の人なつっこさや
明るさや情報力や手練手管や

そういうんをフルで利用して
あっというまに天下を取りはって
いまやミキに歯向かおうものなら
教科書靴体操着財布なくなんの当たり前
机にご丁寧に菊と寄せ書き供えられて
透明人間。

美術の時間に誤ってミキの水を
ひっくり返した淳子ちゃんは
あんなに謝ったのに次の時間
机ごと無くなってそれからは
飲みかけのジュースや紙パックが
突然降ってくる始末で
もう学校に来やんくなって
こないだお母さんが封筒持って
学校来とった。

ミキの取り巻きは常に機嫌を伺って
ミキはミッキーやねん
という、もはや
わがままなのかなんなのか
わからへんミキ様の発言を持ち上げて
ミッキー軍団、ディズニー派と
呼ばれとって、もうそれは絶対で。

「ひとりなん?」

ブタシャカ。

ぼこぼこにいじめられとった
ブタシャカは軍団の用心棒
といったとこやろうか、
とにかく居場所が見つかって
嬉しそうに鼻息荒くて。

「うちらマキの彼氏らと今から
遊ぶねんけどアキコどうする?」

あくびをしながらミキ。
誘う気ないやろ。

「アキコ、車、乗れへんわ。
定員オーバーや。」

と、すかさずマキ。
誘ってから断るまで早過ぎるわ。

「うち、人待ってるから。
うん、また誘ってな。」

「あ、アキコ聞いて、さっき三ノ宮で
サチおったで!めっちゃ汚いおっさんと
歩いててん!びっくりするやろ!
ほんでな、うちら声かけようと思ったらな
いきなりキスしてん!な?びっくりするやろ?」

ミキはサチコのことが
嫌いなのはみえみえなのやけど
他の子らと調子が違うので勝手が分からず
まあ、ほっといても自分に害はないしで
結局なんも出来んでいる。

そやけど中学校から一緒におったうちと
仲良くしとんのは面白くないようで
こういう嘘をつきたがる。

サチコを見たのは本当かも知れへんけど
どう考えても途中からのは嘘で
興奮気味に話すときは昔からミキは
そうやった。

自分には霊が見える、やの
軽井沢に別荘がある、やの
父さんが海外に単身赴任になったけど
うちが二十歳になるまでは家におりたいから
先延ばしにしてくれとる、って

あんたの家、電気工事やないの。
おっちゃん少年野球のコーチしとるがな。

「なあー、ほんまびっくりした。
そのあと、なんか、お金もらとったしな。」

ブタシャカが調子に乗って
付け足した嘘のせいで
それらは嘘であることが明るみになって
ミキは舌打ちをしてから

「うちら行くわ」

といって歩き始めてミキは聞こえない声で
皆になにかを言って皆が爆笑して。
こっちをちらちら見て、手を振ってみたり。

ほんで

4時まで待ったけど
サチコもマスターも来やんかった。


これがうちの人生で経験する
最低の1年の始まりやった。



s.f



078-004-0058



元旦の阪急三宮西口は
混沌としている







普段なら

どこから持っていたか
分からない大量のパン屑をまき散らす
老人たち

その餌をめがけて
どこからもなく集まる鳩

と どさくさに紛れてポッポポッポと
メスを追いかけまわす発情したオス鳩


の恋路の邪魔をするために
どこまでも走り、追い続ける子供たち



を眺めて笑うカップルたち



が苦々しく思える

税務署に向かうスーツ姿の鳩嫌いの型物女



で何回も腕時計をみれば

仕事が早く終わると信じて疑わない

警備員たち



が皆どこへ行ってしまったんだと
雀が不思議がるほどに





生田神社は人人人




そしてメッカへの500mほどの

道のりにも

そこへ向かう

今日だけ信心深い人達と


俺だけを信じるテキヤの人達が営む

テントで埋め尽くされている



そう西口は混雑の入り口

浄化されるための入り口



アキコはその入り口で

何も信じぬまま働いている






時給がいいので
元旦の朝からシフトに入っていたアキコは

閻魔のごとく
その虫のよい無神論者達を
裁くことで必死だった


あちゃーわちゃーあたたったたたたたた
おりゃー


とめどなく押し寄せてくる客、客、客

倒しても倒してもきりがない




なまはげのような
形相だったのだろう

いつの間にか
くくった髪の毛が
視界の邪魔をする






「スマイルください」


1〇〇〇〇〇〇回くらい聞いたことのある
うざったい注文に

アキコは
はいはいと思いながら
口角を上げて打ち終わったレジから顔をあげると


マスターとサチコが
ニヤニヤしながら


「おーやってるねー」
 
と茶化しながら

「ビックモッスバーガーセット2つ
コーラとジンジャエールで」

とポップに指をさして注文した
















「ビックモッスバーガーセット
 
コーラとジンジャエールのお客様
 
大変お待たせしました」


マスターが
無造作にセットされた2つのトレーを
持ち上げると同時にサチコが


「何時あがり?
仕事終わったら初詣行こうよ、
マスターの店で待ってるから」

と囁いた



「ん、 2時あがり。


でも生田さんは混んでるし、
並んでるし
ヤンキー多いし
学校の人間多そうだし
楠公さんにしない?」


と目を合わせぬまま
他のスタッフに聞こえない程度に返事をし、
次の客の応対を始めた。







バチあたりだけど
なんとなく楠公さんのほうが
信心深い人が多そうだし
おごそかな雰囲気が好きなんよね



凛としてるというか




一方で生田さんは
東門の酔っ払いに囲まれてるっぽいし・・・・・

「やだー。もー。」みたいな

あの入り口の交番もねー

「入りたきゃ身分証明書みしてよ。」みたいな






なんてね
ごめんなさい生田さん






とアキコは
心の中で生田神社にお詫びをした




RO

078-003-0057


この日からアキコの「いい日々」は続いた。
一日が一週間、一ヶ月が三ヶ月とというふうに。

アキコはあの一件の後、父より夜間外出禁止令を宣告されていた。
門限が夜の十一時から七時に四時間も早められたのである。

小さな障害に対してすぐに不平を口にしていた以前の彼女なら、自分の事を「不幸せ」だと考え、直ちに不服を申し立てたに違いない。

ところがこの頃のアキコはこの程度のペナルティにめげる程、脆くはなかった。

ファストフード店のアルバイトを続ける事は許されたし、放課後は三宮をぶらつく事も、友達とただひたすら駄弁る事もできた。
帰宅時間を間違える事さえなければ、自由であった。
トゥーム・ストーンに入り浸って飲み食いする事もできた。
ウーロン茶とスナック菓子を持ち込んでのテスト勉強に日々の宿題に、時々は店先の掃除に植木の水やり、あとはただひたすらたわいもない会話といった具合に。

薄暗いバーの午後は少女らの明るい笑い声の花が咲いた。
アキコのそばにはいつもサチコがいた。



一学期までアキコが思い描いていた「華の女子校生活」とはかなりの隔たりはあるものの、この時期が最も幸せで最良の日々であった。

アキコの「いい日々」は同様にサチコにも「いい日々」だった。



秋は次第に深まった。
夏の記録的猛暑が嘘の様に確実に。

秋は、名前に含まれるという単純な理由でアキコの一番好きな季節である。
寝る事と食べる事が何よりも好きという事が、過ごし易く食べ物が美味しい季節を好きになる動機を、更に強めた。


後から考えれば、この年の秋は少女達の人生の転換期の入口と言っても過言ではなかった。


四年制の大学に進むのが当たり前だと思っていたアキコと、マスターの店で働きながら、絵の専門学校に通うべきか、短大に行くべきか、ただマスターの店で働くべきかを決め兼ねていたサチコ。

将来について最も真剣に考え、相談し合った時期でもあり、結果的にそれは、互いの理解をより深かめ合う事となった。


そんな中、アキコはサチコに、マスターとの関係をやっと聞く事ができた。

しかし、わかった事といえば、サチコがもの心つく頃には、いつもマスターにくっついて遊んでもらっていて、オトンによりもなついていた事。
それとオカンが死んだ時、誰よりも先に駆けつけてくれて、最後まで幼いサチコを慰めてくれた事だけだった。



そして秋は過ぎ去った。
かけがえのないものが例外なく儚いのと同じに。



アキコは父との約束で、冬休みが始まると、予備校の冬期講習に通う事になっていた。

とはいえ、まだ高校二年生である。
時間的余裕はあり、アキコの予備校が終わる時間とトゥーム・ストーンの開店時間までが、二人の貴重で崇高な会議の時間だった。


この頃になると、ケンジは話題にも上らない、過去の人になっていた。

アキコが急性アルコール中毒で学校を休んだ日に、実家に電話を掛けて来て以来、ケンジからは何の音沙汰もなかったが、アキコの方から折り返す事もなかった。
アキコにはもはやどうでもよかった。
自然消滅で片づけた。




年が明けた。



アキコにも何枚か年賀状が届いたが、その中にサチコからのもあった。


「あけおめ!

私、美術系の四大受ける!
一緒に勉強 がんばろ!

1995.1.1 元旦」


そこには拙いイノシシの絵と一年の抱負が書かれてあった。



そっか、口で言わんと文字にしたんや。
サチコらしいわ。
にしても、この絵で美大?ムリムリ。無理ですよー。


アキコは初笑いと共に心強いパートナーを得て、年の初めに身の引き締まる思いがした。





K.C.


078-003-0056

アキコは思った

今日は何かいいことありそうや

別にこれといった楽しみや根拠はない


ただ、そんなに学校に行くの久しぶりでもないのに

いつもの通いなれた道

いつもの満員電車

いつものこの時間の空気が新鮮に感じられる


阪急電車の改札を出たとこで

ドタバタと近寄ってくる足音ともに

アキコは背中を勢いよく叩かれた


「アキコ、おはよう。もう大丈夫なん?まぁ、大丈夫やからおるねんな」


息を切らしながら必死に喋るサチコ


「おはよう。もう大丈夫やで、てか、昨日はわざわざありがとう。マスターと来た時はびっくりしたけど」


サチコはいたずらっ子のように嬉しそうな笑顔を綻ばせ


「やろ、やろ。私もドキドキしながらやったけど、マスターにゆうたら、そんな話なってな。おもしろそうやったし。」


アキコは昨日の滑稽な二人を思い出した


「プッ、なんで、マスター髭剃ったん?」

「プッ、あれはマスターなりの誠意ちゃう。あれ、私が剃ったってんで。今度、髪切ったろうか思ってるねんけど」

「まじで?私もやりたい」

「じゃぁ、近々、アキ&サチ美容院やりますか」

「やるやる。値段はサービスしとくし。」


新しい玩具を与えられた子供のように目を輝かす二人


「で、昨日はあれから、バイクですぐ帰ったん?」

「あれからな、マスターの知り合いの店に連れて行かれてな。神戸と元町の高架下の古着屋やねんけど、あの辺りにほとんど行く事てないねんけど、何かアンダーグラウンドな感じやな」


確かにアキコにとっても未知な場所であった。

最近、三ノ宮の高架下は行くようになったものの、元町から西の方は、通ったことがない。


「でな、マスターがその店でいいなて買ったのがボロボロのジーパンやねんけど、7万円ぐらいしてるんや、ありえんやろ」

「7万円!なんなんそれ?」

「しかもな、何か臭そうな、色落ちもしてるし、ボロボロやねん。何かそれがいいみたいな、何年代ものやからなとかようわからんこというし」


私が穿いてるジーパンはセンター街のJOINTで買った4800円やけど

そこまで穿きつぶしたら、マスター買ってくれるやろうかと考えるアキコ


「プッ、あんた、自分のやつマスターに買ってもらおうかとか考えたやろ?」

「プッ、何でわかったん?」

「昨日、私もマスターにいくらで買ってくれるてゆってたから。女子高生使用済みやでてゆっといたけど。」


ハハハッ。声を出して笑う二人


きっと、このたわいもない会話ややりとりを

楽しいと感じれるのが幸せてことやな

今日はきっといい日や

あらためておもうアキコ


N.F

078-003-0055

あきこは立ち上る白い煙を
上から下へと逆流するように
ボーッと眺めていた。

バカのひとつ覚えみたいに
同じことで繰り返し笑う学生たちの声は
アキコの耳には入っていなかった。

代わりに
店内に流れるBGMが
あきこの耳を潤した。

これ、うちの好きな曲やわ。
たしか最近「100万枚突破」とかいうてた。

これだけ成功している人でも
いまの自分とか周りに満足できなくて
求めてしまうものがあるんよね。
たしかに、この曲のタイトルのような
世界があったらどんなに幸せか。
無垢な世界……
ま、ありえへんけどな。
ありえないって思うとるんやけど
でも、求めてしまうんよね。
うちも、だれかに会いたくないわけじゃない。
なにもしたくないわけじゃない。
でも、だれかと会ったり、なにかをすれば
そこには必ず「無垢じゃない」ことが起こりよる。
それがめんどくさい。
ほんま、めんどくさい。

「めんどくさい……」
あきこは小さく声に出して言ってみた。

あまり響きよくないな。
めんどくさいばかりいうてたら、
やっぱりいけんのかな。

あきこはふと
昔、祖母からいわれたことを
思い出した。

「アッコちゃんね、人はひとりでは生きられないのよ。
 だから、人と人は必ず交わるし、そうしたら必ずなにかあるわ。
 でも、いつも文句ばかり言ってたら、それは欲張りよ」

お祖母ちゃんは関東の人だった。
お祖父ちゃんと結婚して関西に来た。

「お祖母ちゃんくらい、たくさんの大変なことを経験すれば
 どんな日も『幸せだわ』って思えるのよ。
 なにも文句はない。
 なにも特別なことはいらない。
 そう思うくらいね、大変だったわ」

お祖母ちゃんの年を考えれば
昔になにを経験したのかだいたい想像できる。
もちろん、想像を絶するものだったんやろけど……。


「ねえちゃん、その肉はよ食えや。
 真っ黒にこげてしまうで」

「う、うん、わかっとう」

そやね。
求めすぎかもね。

この場もそう。
たいしておもろない会話やけど
肉も上等なもんとちゃうけど
これもまた「ある瞬間」に過ぎない。
これといって特別なことはないけど
それが実はいちばん幸せなのかもしれへんね。

固まっててもしゃあないわ。
流れに身を任せてみるのも悪くないかもしれへん。

とりあえず
明日、学校行ってみよか。



a.s

078-003-0054

めっちゃ久しぶりに、たじま亭行ける思ったのに、
なんや、あそこのホルモン屋か。
なに、食い盛りのオレには似合っとるってか?


いやいや、親のカネで食うんやで、
ええ肉食わせんかい!!


でもまあ、家でお通夜みたいに沈黙しながら食うより、
横のバカ学生のバカバカしい会話がBGMであるほうがマシかもな。



タケルはホルモンを両方の奥歯で何度も強くかんだ。
なんだか無性に腹が立っていた。
ホルモンに独り言の怒りをぶつけるように、かんだ。



それにしても、さっきのはないで、オヤジ。
「アキコもビールにするか」やって!?
オヤジギャグよりサブいで。
隣のバカ学生よりウザいで。


とりあえず、オレは食うしかないな。
明日、彼女に会うのに、ニンニク臭くなってまうやろか?
いやいや、ホルモンで体力つけとかな、なんてな・・・



うう、水、水・・・
ちょっと勢いよくホルモン頬張りすぎたわ。


ふう、ホルモン目の前に妄想は禁物やな。
焼く、食うに集中集中っと。



それにしても、アネキはいつまで学校休む気なんやろ?
学校行くようになったら、
オヤジも、オカンも、家の中の空気も、
フツーに戻ると思うんやけどなあ。


でも、ここでオレが「いつ学校行くねん?」とか聞いたら、
オヤジは、キモ優しなるか、熱く語るか、なんかになるやろし、
オカンは、またまたまた泣き出すかもしれんし。
なんも言わんと食うことに専念しとくか。



父親はビールを流し込むように飲み、
母親はかいがいしくホルモンを焼き、
アキコはクッパだけをゆっくり食べ、
タケルはホルモンと白ご飯を黙々と食べ続けた。



七輪から出る白い煙は、4人を隔てるカーテン。
全身にまとわりつくにおいは、よろいかぶと。



タケルは思った。

焼肉に行くカップルは、もう「済んでる」って言うけど、
うちの家族には、口を開かなくて済む場やな、と。



重い空気って思っとったのに、なんか笑えてきたわ。


家帰ったら、誰が一番最初に風呂入るんやろか。



N.K