🎥《CROSS OVER 15明日公開》
〜「東日本大震災」と「僕」と「ふるさと緑の道」〜




フィニッシュから3時間以上が過ぎてなお、僕と家族は唐桑半島にいた。
嘔吐と身体の震えが止まらず、水も何も受け付けない。ここまで酷い状態は初めてだった。低体温症であることは明確だったが自分では何もできない。補給ができない中、それだけ出し尽くした。

妻に手伝ってもらい何とか着替え、車の中で暖を取るしかなかった。

身の回りことは全て妻がしてくれた。子ども達は既に眠りについている。これまで生きてきて感じたことのないほど大きな、家族に迷惑をかけて申し訳ない気持ちと感謝。妻でなければここまで寄り添ってくれなかったと思うと、妻と一緒になって良かったと心から思った。

フィニッシュは20時過ぎ。ホテル着く頃には深夜の1時になっていた。みんなと一緒に食事をすることもできなかった。

3日前にハーフマラソンを走ったことで内臓疲労もあったと思う。ただそれ以上に睡眠不足だったのだろう。仕事柄以上に、このチャレンジに対して気持ちが高ぶり、眠れない日が続いていた。それほど自分にとっては大切な日だった。

翌日、気仙沼の安波山から見た景色。3月。ちょうどあの日、東日本大震災から12年が経ち、この景色からようやく目を背けることなく向き合えた気がする。

今回走った「ふるさと緑の道北上山系コース」は、三陸沿岸部を「みちのく潮風トレイル」とは違った形で辿る。震災の爪痕を辿るコースでもあった。

あの日を体験し、その場所で見たこと、感じたこと、今もなお鮮明に思い出し涙が溢れます。
沿岸部。友人、妻の家を辿り感じた、全てがなくなってしまうことの恐怖。同時に出会った生きる強さを持った人達。

あまりにも強烈な体験から、しばらくの間、この地から自然と背を向けるようになっていました。

それでもトレイルランニングを通じて、この地を知り、足を運ぶようになり、前に進めるようになった。
あの日のことも、子ども達に話し、見つめられるようになった。

FKT当日。集まったメンバーそれぞれに、そして動画を見てくれる皆さんそれぞれに、あの日の言葉にはできない想いがあると思う。

ここを走ること、動画を作ることで世の中が変わる訳ではない。でも自分の中でやりたいという気持ち、感じたいことがあって、自分自身が何度もこの地に、そして見てくれた皆さんが一度でもこの地に足を運んでくれたら、少しだけ、ここに関わる人にとってほんの少しだけ、良いことなんじゃないかと思っています。

あの日があったから彼女が妻になったとも思うし、あの日があったからこの日のFKTがあるとも思います。

だからあの日は僕にとって特別な日。宮城は僕にとって特別な場所。

レースじゃない。
けどこの日、全てを置いてきたと胸を張って言える。

この文章を読んで不快な思いをした方もいるかもしれません。ごめんなさい。

それでも、そんな方にも、三陸の美しい景色とウルトラトレイルの魅力。少しでも届くといいなと願っています。

改めて協力してくれた沢山の人への感謝。ありがとうございました。

この日できなかった反省会。
改めてやりましょう!

須賀 暁