名作の楽しみ―573 山本周五郎 正雪記 | 松尾文化研究所

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名作の楽しみ―573 山本周五郎 正雪記

歴史の授業で覚えていた「由比正雪の乱(慶安の変)」。その当時、江戸幕府が三代目家光の時代に入り、福島正則や加藤清正などの家が改易となり、盤石の時代に入りつつあったので、ほとんどかすり傷ぐらいにしか感じない乱であり、何故こんな事件を起こしたのかと冷ややかに見ていたことが思い出される。確かに改易により多くの浪人が輩出され、それに幕府はほとんど手を差し伸べなかったので浪人たちの不満は相当なものであったろうと思える。特に松平伊豆守の政策は厳しく、かなり卑怯な手を使って彼らを追い落としていったようであった。そうした中、由比の紺屋商人の息子正雪が武士を志し、江戸に向かいその現状を目の当たりにし、幕府への敵愾心を募らせていったことは想像できる。そして、数々の試練を経た後、信州の山の中で隠されていた大量の金を見出し、それを資金として江戸に邸を建て、多くの浪人を抱えることになった。それに先立ち、天草四郎の乱にて、松平伊豆守の卑劣な浪人狩りを目にしていた。その際、出会った槍の名人丸橋中也と意気投合し、浪人救済への道を探る。丸橋中也も江戸で道場を開き、次節の到来を待っていた。由比正雪はあくまでも幕府への浪人救済の提言をすることにとどめていたが、それは幕府にとっては好ましくないもので、遂に彼らを陥れ、反逆の罪を押し付け、彼らを完璧につぶしてしまう。歴史書では由比正雪や丸橋中也が全国の浪人に呼びかけ決起してつぶされたことになっていたが、ここではあくまでも正雪は暴力的な手段によらず、根気よく幕府を説得している姿が描かれている。これは山本周五郎一流の考え方であろうか。「もみの木は残った」に通ずる彼独特の歴史観が由比正雪を生き返らせた感があり、清々しさ場残った。