百人一首の歌人-19 在原業平 | 松尾文化研究所

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百人一首の歌人-19 在原業平

「千早ぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」

(さまざまな不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえも、こんなことは聞いたことがない。龍田川が(一面に紅葉が浮いて)真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとは。)

在原業平(825~880)

平城天皇の皇子・阿保親王の息子で、百人一首の16番に歌がある、中納言行平の異母弟でもある。右近衛権中将にまで出世し、「在五中将」や「在中将」と呼ばれた。六歌仙の一人で、伊勢物語の主人公とされ、小野小町のように「伝説の美男で風流才子」とされた。

 川上弘美訳の「伊勢物語」を読んだ。この物語、高校時代に古文の授業で読んだというより学んだのが最初、その後も読んだ記憶はあるが、「かきつばた」を57577の初頭に並べた和歌の話や、隅田川に飛ぶ都鳥を見て都を偲んで歌を作った話など、和歌が散りばめられた女を求めて旅する男の話という程度しか知識がない。今回はじっくり川上弘美の訳で読んでみることにした。冒頭に「男がいた 元服したばかりの男だった」を見て、これは川上弘美が原文に忠実に訳したもので、彼女が原文を読んで彼女風に話を作ったのではないと感じ、何となくほっとした。ここでは和歌を中心に追いかけていきたい。

一段:男の領地である春日の里に狩りに出かけて見初めた姉妹に男が狩衣の裾を切り取り歌をそえて贈った。「春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れかぎり知られず」この歌はしのぶずりに百人一首にもある源融の「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに」を踏まえているのである。

四段:京の五条、皇太后の住む館の西側に女が住んでいた。高貴な身分の女ゆえ、男は本当はかかわりたくなかったのだ。けれど、深く、情がわいてしまった。男は通いたずねた。ところが、正月十日ごろ、女は姿を消してしまった。男には、もう手のとどかないところだった。うつうつと、男は女を思った。翌年の正月のこと、男は女の去った家へ行ってみた。梅がよく咲いていた。立ってみ、座ってみ、つくづくと見まわした。去年とはすっかり様変わりしていた。がらんとした部屋で男は泣いた。月がかたぶくまで、板敷きの間でふせっていた。「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして」夜がほのぼのと明け、泣きながら、泣きながら、男は帰っていったのだった。

九段:東下り。都に住めなくなった業平が友と一緒に東国に居場所を探すべく旅に出る。三河の八つ橋辺りで、沢のほとりの木陰に降りて乾し飯を食べた。かきつばたが美しく咲いている。中の一人が「かきつばたを折句にして、旅の心を読んでみてくれないか」というので、読んだ歌。唐衣着つつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

 駿河の国で見知った者に出会い、都のあの方の元へ歌を託す。

  駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり

 また5月末なのに雪が真っ白に降り積もっているのを見て、

  時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ

 武蔵の国と下総の国との境を流れる隅田川で渡し舟に乗った時、都鳥が水に浮かんでいるのを見て 

名にし負はばいざこと問はむ都鳥我が思ふ人はありやなしやと

十六段:紀有常は三代の帝に仕えはぶりもよかったが、時は移り、暮らしは人並み以下になってしまった。純真で、品がよく、雅なことを好み、俗なところが全くない。しかし、妻は次第に離れ、遂に尼になり、すでに尼になっていた姉のところへ行くことになった。しかし、貧しいゆえに何もしてやれない。有常は業平に文を書いた「このような事情で、いよいよ妻は去っていきます。それなのに何もできない。何一つ」そして、最後に

 手を折りてあひ見しことをかぞふれば十といひつつ四つは経にけり

 業平はこれを見て、哀れに思い、衣装と、夜具までを送ってよこした。

 年だにも十とて四つを経にけるをいくたび君を頼み来ぬらむ

 有常はうれしさのあまり、詠んだ。

 これやこのあまの羽衣むべしこそ君が御衣とたてまつりけれ

 そのうえさらに

 秋や来る露やまがふと思ふまであるは涙の降るにぞありける

二十段:

 あとがきで川上弘美は「自分の書いた恋愛小説では、何百枚という原稿用紙を重ねて恋情や何やらを表そうとしたけれど、伊勢物語の中では、数行の中に同じものが表されている。びっくりした後には、少しばかり気落ちした。数行で足りるんだ・・・。何故だろうと考えて数行でも濃密な理由が分かったような気がする。和歌なのである。掛詞をきちんと一つ一つ味わい、また言葉それ自体のもつ歴史的記憶をたどっていくと、31音の中に、下手すれば散文で原稿用紙20枚分ぐらい書かないと表せないくらいの情感が詰まっていることが分かるではないか。定型や韻律の素晴らしさを、改めて知る思いだった」そして、よくぞこのような男を残してくれたと結んでいる。

四十一段

 あねいもうとがいた。一人は身分の低い貧しい夫を、もう一人は身分の高い夫をもっていた。身分の低い夫持っていた方の女が、年も暮れになったころ、夫の式服をみずから洗い張りした。懸命に手を動かしたけれど、そのような仕事には、全く慣れていなかった。しまいに、式服の肩の部分を引っ張って破ってしまった。どうすることも鳴く女は泣くばかりであった。男はこのことを聞き、哀れに思った。女の夫の官位に合う美しい緑色の式服を探し、歌を添えて送ってやった。

 紫の色こきときはめもはるに野なる草木ぞわかれざりける

これは「紫の一本ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」の歌を踏まえて詠んだに違いない。

四十四段

 男がいた。地方へ赴任する友のため、選別の宴を開いた。友のため、自分の妻の侍女に盃をささっせ、妻の来ていた装束を脱がせてはなむけに贈った。そして、歌を詠んで装束の裳の腰紐に結びつけさした。

 出でて行く君がためにとぬぎつれば我さへもなくなりぬべきかな

送別の歌としては、飄々としたものだから、じっくり吟じたりせず、お腹の中で味わうがよろしい。

六十段

 男がいた。宮仕えに忙しく、妻にまことを尽くさずにいた。妻はよくしてくれる他の男につき従って、地方へと去ってしまった。男は出世して、宇佐八幡宮への勅使となった。宇佐へ向かったところ、出ていった元の妻が、宇佐への途上にある国の地方役人の下にいると知った。役人は勅使を接待する役職についていた。男は「ぜひ奥様自ら盃を手渡していただきたいのです。でなければ私は接待受けません」と言った。元妻は、盃を持ち、男に差し出した。男は、肴である橘の実を取り、

 五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

と詠んだ。女は、歌を返すこともせず、昔夫であった目の前の男のことをせつなく思い返した。女はじきに、尼になり、山に入って暮らしたということだ。

六十四段

 男がいた。女と文を交わしていた。けれどそれだけのことで、ひめやかに逢って語り合うということをしたことがなかった。一体女は、何処に住んでいるのだろう。男は疑い、詠んだ。 吹く風にわが身をなさば玉すだれひま求めつつ入るべきものを

女は返した とりとめぬ風にはありとも玉すだれ誰がゆるさばかひま求むべき

六十八段

 男がいた。和泉へ行った。住吉の郡、住吉の里、住吉の浜を、通ってゆく。心はればれとする景である。馬から降り、腰を下ろして眺める。また馬に乗って、ゆく。「『住吉の浜』を、歌に詠みこんでみよ」という人がいるので

 雁鳴きて菊の花咲く秋はあれど春の海辺に住吉の浜

と、男は詠んだ。見事なその詠みぶりに、他に詠みこみ歌を作ろうというものはいなかった。

八十段

 貨運の衰えた家があった。家の者は藤を植えた。三月の末、雨のそぼ降る日、藤の枝を折り、使いの者に藤原氏へ献上させようと詠んだ。

 濡れつつぞしひて折りつる年のうちは春はいく日もあらじと思へば

八十二段

 惟高親王の離宮を桜の時期在原業平を連れて訪れた時の和歌

 世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

 他の人の歌 散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにかひさしかるべき

 一行は、桜の木の元を離れ、帰途についた。そのうちに天の川というところに辿り着いた。親王は「交野で狩りをし、天の川のほとりまで来た。という題で、歌を詠み、飲もうではないか」といった。在原業平は、

 狩り暮らし棚機つ女に宿からむ天の川原にわれは来にけり

親王は歌に感心し、繰り返し朗唱したが、その余り、返歌を作れなかった。そこで供の紀有常が、返した。

 一年にひとたび来ます君待てば宿かす人もあらじとぞ思ふ

 やがて親王一行は、水無瀬の離宮に帰り着いた。それからも夜更けまで飲み、話に打ち興じた。主である親王は、酔って寝所に入ろうとする。十一日の月も、今にも山の端に隠れようとしている。そこで在原業平が詠んだ。

 飽かなくにまだきも月の隠るるか山の端にげて入れずもあらなむ

親王に代わって、紀有常が、返しを詠んだ。

 おしなべて峰もたひらになりんむ山の端なくは月も入らじを

九十七段

 堀河の大臣(藤原基経)が、はや四十歳になっての宴を、九条の邸でも要した。中将であった翁(在原業平をさすとみられる)が、詠んだ

 桜花散り交ひ曇れ老いらくの来むといふなる道まがふがに

百六段

 男がいた。親王たちがそぞろ歩きをしているところへ参上し、龍田川のほとりで詠んだ。

 ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは

百九段

 男がいた。大切な人をなくした友へと、詠んだ

 花よりも人こそあだになりにけれいづれをさきに恋ひむとか見し

百十二段

 男がいた。しみじみと契り語らった仲の女が、ほかの男に心傾けてしまった。男は詠んだ。

 須磨のあまの塩焼く煙風をいたみ思はぬかたにたなびきにけり

百二十五段

 男がいた。病をえた。もう自分は死ぬだろうと、男は思ったのだった。男は詠んだ。

 つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを

 伊勢物語から、気ままに抜き出し書き出してみた。ほとんどが男、在原業平のことである。さらに、友情の歌もあるが恋歌が大半を占めている。稀代の色男、光源氏のモデルともいわれるこの人の魅力は女性の小野小町と双璧を成す。