名作の楽しみ-405 パール・バック「大地」 | 松尾文化研究所

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名作の楽しみ-405 パール・バック「大地」

 これを読んだのはいつだったろうか、その雄大な物語に興奮したことが思い出される。「大地」はパール・バックの代表作と言うより、序文に掲げられたマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」同様のパールバックの象徴的小説と言っていいだろう。

 清時代の中国の農夫、王龍が登場、貧しい生活の中で、父親と暮らし、農作業から食事の世話をしているが、その日は嫁をもらうことになっている。黄家の奴隷である阿蘭をもらうべく、彼としては精一杯の身だしなみを整え、彼女をもらい受ける。不美人だが、食事をはじめとする家事をきちんとやり、さらには王龍の畑仕事を手伝う。直ぐに男の子を二人もうけ、自分独りで取り上げる。彼女のおかげでお金も貯まり、黄家から土地を買い、裕福になっていく。しかし三人目の女の子が生まれて直ぐに大飢饉に襲われ、食べるものも無くなり困窮を極める。しかし、彼等は決して土地を手放さなかった。そんなはじまりで物語は進んでいく。実にわかりやすい文章で読む楽しみも尋常ではなかった。

 第1部「大地」は、王龍の一生を描いたもので、土地に執着し、大地主になり、嘗て奴隷の妻をもらい受けた黄家の屋敷に住む身分になった。それは妻阿蘭の功績半分といったところで、子供も数人設け、妾も二人持った。その内のひとり梨花が、王龍を慕い、彼の死後も嘆き悲しみ、彼の墓の屡々詣でた。そして、彼が息子たちに土地は絶対に売ってはならぬという遺言を息子たちが破るのを監視して、抗議をしていた。しかし、息子たちは3年の喪が明けると巧妙に土地を売り、金に換えるのだった。長男と次男は平凡な男たちだったが、三男は軍人になり、仕えていた将軍から強引に独立し、百人ほどの部下を連れ、群雄割拠する中国の土地で一旗揚げようと進軍を開始した。

 第2部「息子たち」はその三男王虎の出世物語である。百人の部下を引き連れ、北のある県に向かう。そこで、県の知事と図り、民衆を悩ます匪賊を退治する。そして、その県の軍の司令官となって、部下は8千人になり、知事を完全に操る立場になる。匪賊の頭目の女が激しく抵抗したが、時間をかけて手なずけ、結婚する。しかし、彼女は心を開かず、密かに裏切りを企む。そして、三千丁の小銃を密輸する段になったとき、その裏切りが明るみに出て、王虎は即座に彼女を殺す。そして、彼女を待っていた匪賊を滅ぼし、4千人の部下が彼の麾下に加わる。子供が欲しい王虎は兄に頼んで嫁を探してもらい、二人の女を妻として迎える。一人は教養のある女性、もう一人は平凡な女性だったが、平凡な女性が男の子王淵を、教養のある女性が女の子を産む。王虎は男の子にのみ興味を示し、徹底して軍人としての教育を施す。王淵は父親を恐れながらも律儀に王虎の期待に応えて士官学校にまで入るが、本当は祖父の血を引き継いで大地に惹かれている。

 

3部「分裂せる家」そして、15年の月日が経ち、王淵は親から離れ、外国人居留地のある大都市に住む教養のある女性の元に住む。彼女は王淵を自分の息子のように大事に扱い、王淵も彼女を本当の母親のように慕う。その娘愛蘭は妹として彼に自由の素晴らしさを教える。また、王大一家も近くに住んでおり、彼の三人の息子、特に次男王生と三男王猛が王淵と親しくする。王猛は革命組織の属し、王淵は王虎が勝手に決めた結婚から逃れるためにその組織に入る。しかし、その組織に厳しい弾圧が突如かかる。王猛は素早く逃げるが、多くの者が銃殺される。王淵も捉えられ、死刑判決を下されるが、王大や王虎が大量の金を官憲に払い、死を免れる。そして、王淵は王生とともに外国へと旅立とうとする。その時、王淵は20歳になっていた。そして、6年間米国で暮らし、有名な大学から名誉ある学位を授けられた。その間、人種差別を受け、貧民窟を見、敬虔なキリスト教信者の教授夫妻から信仰を進められ、その知的な娘と恋の寸前まで行ったが、結局、革命の息吹が盛り上がる中国への帰国を余儀なくされる。王龍、王虎の雄大な物語から一転して、悩める王淵の人間ドラマが描かれ、この小説の深みを形成しており、また、中国の歴史、風習、国民感情がよく捉えられていて、さすがノーベル賞受賞作品だなと深く感じ入った次第であった。ところで表題の「大地」とは何だったのだろうか。第1部の「大地」では土地のこだわり、遂には大地主になる主人公の生き方がそのまま大地を表していたが、第2部の「息子たち」は土地には執着せず売ることばかり考えていた気がする。しかし、だからこそ土地というものが底流を形作っていたように思える。しかし、第3部になると王淵の苦悩する物語であって、大地という概念は消え去ったように見える。ただ、彼が米国留学などを通じて中国という祖国への愛着が前面に押し出されていて、中国という大地が迫ってくるとも言えるのである。さらに王淵は農業ヘの関心が強くその意味でも「大地」と深く関わっているのだ。そういう意味でもこの作品は並大抵のものではないと思えるのである。訳者中野好夫は、あとがきで男のことは余り触れず、パール・バックが40年間中国で暮らし、清朝から義和団の乱を経て、国民党から共産党の台頭までを具に見た中国を正確に描写していて、特に光っているのは阿蘭、梨花をはじめとする中国の女性の描き方であるとしている。確かにその通りであるが、私は矢張り三代にわたる男たちの描き方に魅かれたのであった。