館林観光 日本遺産「里沼」を歩く ③ 「守りの沼」・城沼散策 part2 | 群馬の食いしん坊くまさん ごろの日記

群馬の食いしん坊くまさん ごろの日記

僕、くまのごろちゃん。
食いしん坊の男の子だよ(n*´ω`*n)



大好き❤な食べ物中心の日記です!!

今回

 

前回同様

 

 

いつも以上

記録用なので

かる~く

スルーしてねぇ

(*- -)(*_ _)ペコリ

 

公園北側にある
尾曳稲荷神社
(・ω・`*)))))トコトコ
緑の木々に囲まれた参道に
鳥居が並んでるので

伝承によると享禄元年(1528)の正月、照光が年賀の挨拶などで当地を訪れた際、子供達に虐められた子狐を見つけ救い出すとその夜一人の老人が現れ、この地は要害堅固の霊地であるから大袋城を廃棄し新たに城を築く事を強くすすめました。翌日一匹の老狐が現れ尾を引きながら必死に城の縄張りし、この城が如何に優れているかを告げ自ら城の守護神になることを約束して姿を消したそうです。照光は神意と悟りこの地に新城を築き尾曳城(館林城)」と名付け、本丸から見て北東(鬼門)の方角に稲荷郭を設け社殿を造営し鬼門鎮守社としました。

(*˘︶˘人)
主祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
日本神話に登場する
女神様
五穀豊穣商売繁盛交通安全などの
御利益があるんだって
ウインク
拝殿の右手にある
神楽殿
隣に
尾曳弁財天の額が
掲げられた鳥居があり
さらにんで行くと
もう1つ鳥居があり
階段を下にりと
館林七福神
弁財天を祀る
があり
周りは弁天池
芸能財産・立身出世などの神
められる
七福神の中の紅一点
弁財天
 
う~ん
せっかくなので
城沼散策しながら
いて行ける
館林七福神
予定変更

ちなみに

館林七福神

普済寺(布袋尊)

茂林寺(大黒尊天)

長良神社(恵比寿神)

尾曳稲荷神社(弁財天)

善長寺(寿老尊)

善導寺(毘沙門天)

雷電神社(福禄寿)

●字神社・お寺

城沼沿いにあるので

ウォーキングにも

ぴったり❕❔

城沼のまわりには
朝陽小径という
歩行者・自転車専用道路があって
15
500mおきに距離表示があるので
ふれあい橋を起点に時計回り
反時計回りのどちらからでも
距離がわかるよ
『つつじ』
『蓮』
『白鳥飛来』など
自然満喫するのは
ぴったり
 
15なら
なんとかける⁉
チュー
 
あし  あし  あし
尾曳稲荷神社から
三┏( ^o^)┛ トコトコ
1.1km・徒歩15
着いた先が
善長寺
-⁽ -´꒳`⁾-ヒトヤスミ…
山門をくぐりと
参道の東側ニ
鐘楼堂

( ᴗ͈ˬᴗ͈)オジャマシマ~ス♬

当寺境内には七福神の一人、寿老尊像が

寿老尊は中国の伝説中の人物ですが宋代(十一世紀後半)の人と言われ頭が長く白髪で、団扇(うちわ)と巻物をつけた杖とを持ち、鹿や鶴を連れていたと言われている

長寿(長生き、長命)を授けるといわれ七福神のひとり

また、寿老尊は別名を南極老人ともいわれ、人の寿命をつかさどり天下を治める働きがあるとされる南極星の化身ともされている

あし  あし  あし


大永三年(1523)に大雲惟俊大和尚によって開山され

館林城主赤井孫七朗家範の開基によって創建された曹洞宗の寺院

江戸時代になると館林城主であった榊原忠次(後の松平忠次が

生母祥宝院殿の供養のために中興開基家となって、伽藍の整備を創建当時の諸堂伽藍は文政八年(1825)に火災で焼失してしまいました

※現在の本堂は2017年に新築

(*˘-˘人)゚.:。+゚


榊原康政(徳川四天王の一人で館林城主)の
愛妾(あいしょう=気に入りのめかけ)お辻の方は寵愛を一身に集めていたが、それを嫉む他の妻妾の仕打ちに堪えられず、侍女お松を伴い城沼に身を投げたという伝説が残っている
康政はその死を悼んでお辻を弔うために沼の丘に植えた一株のつつじが県立つつじヶ丘公園の起こりと云われている

では

城沼のまわり
朝陽小径
戻って

1.2km・徒歩17

┌(゚´Д`゚)┘。゚トコトコ
善導寺
三┏( ^o^)┛ オジャマシマ~ス

毘沙門天(王)は、閻浮提(えんぶだい・古代インドの宇宙説で、須弥山<しゅみせん>を中心とした世界・私たちの住んでいる世界)の北方の護衛に当たり、仏法を護持し、財宝豊穣(富みて豊・富裕に同じ)の善神としてインド及び西域(中国の西部)において広く信奉され、経典には多聞天王自ら神呪(言葉では説明できない特殊な霊的な力のある秘密語・呪文に通じる)を説き、「この呪を誦持(常に唱え祈ること)すれば常に災厄なく、如意宝珠及び伏藏(地中に秘め隠された財宝)・神通自在を獲得し、所願皆成ぜしめん」と誓われた事が記されている。又時に、戦勝の神としても崇拝された所から、戦国時代には多くの武将が守護神として念持した。当善導寺に伝わる毘沙門天は、新田義重候の守り本尊として日夜礼拝念持していたと伝えられている

φ(.. )メモシテオコウ






終南山 見松院 善導寺

元明天皇和銅元年(708) 

行基菩薩東国遊化の砌上州館林に錫を止め旧土橋村と加法師村の間の林中に一庵を結ばれたのが創まりといわれている

徳川四天王の一人館林城主でもあった榊原康政が、菩提寺として中興し諸堂を建立し、境内には、榊原康政やその長子である大須賀忠政、榊原康勝とその母である花房氏の墓がある

(。>ㅅ<)✩⡱

善導寺は、江戸時代に隆盛し、関東十八檀林の1つに選定され院号を「見性院」から「見松院」に改めている

しかし明治維新後は明治天皇の勅願所となったものの

日清製粉や鉄道誘致などの影響で次第に境内が縮小され平成二年(1990)に館林駅前広場整備事業のため

館林駅前から現在地に移転することに

ちなみに善導寺
本坪鈴はどれも
ウインドベルっぽくて
時々
れて
清々しい音色境内くと
。。。
らかな気持ちに
(*´˘`*)ホッ

では

本堂裏側に回って

康政は慶長11年(1606年)に没し

法名は養林院殿上誉見向大禅定門

墓の高さは5.46メートルの宝篋印塔

墓所には康政を含め榊原家関係者5基の墓石

南直道・大須賀忠政

榊原康勝・花房氏が並んでいる 

では
そろそろ
帰りますか~
。。。"8-(*o・ω・)oトコトコ

 

そうは言っても

ちょっぴり

休憩

Bakery & Cafe

Niwa

城沼のまわり
朝陽小径

すぐ脇にあるお店

営業時間 10:00~19:00

定休日 日曜日

おいしいコーヒーとパンを

城沼を眺めながらもOK

だけれど

ここはやっぱり

TAKEOUTして


朝陽小径
トコトコ。。。8-(。• •)

ホ…(*゚д`)=з
 
 
 
珈琲豆
注文受けてからいていれてくた
アイスコーヒー
りも
やかな苦味
すっきりとしたキレ
ウォーキング中にも
ぴったり
(*˘︶˘*)ホッ

午後1時過ぎだったので
パンの在庫は
少なかったけれど
 
ハード系から
カマンベールチーズパン
チョコパン
(*´ω`*)♪
 
心地よい風を感じながらの
お散歩
 
たまにはグッ