久しぶりのブログニヤリ

なんと私、障害者になりました。

昨年の9月に呼吸が苦しくなり、しばらく我慢していたけど、いよいよ食欲がなくなり、眠れなくなり、横になると

苦しい状態になり、こりゃヤバい😱💧

と焦り初めて、救急外来へ。


数歩、歩くだけで息切れをするほどだったので、まず疑われたのが、コロナガーン

まぁ、そりゃそうなるわなニコニコ


しかし、陰性ニヤリ

その後、検査をして結果を待ってる最中に、看護師さんに、家族の方誰か来れます?

なぬっ‼️

そうきたか口笛こりゃ、大事になりそうだな。


しかし、待ってる間は、座ってる状態だったので、呼吸も落ち着き、具合も、

あら?良くなってる🎵❓

勘違いするほどだった。


数分で、姉、病院到着。

ドクターからお話を一緒に聞いた。


妹さんの診断は、心不全。

両肺に、水が貯まっています。その原因は、腎臓かと思われます。

腎臓の点数が100点満点中、7点しかありませんでした

と。


なんてこったびっくり

沈黙の臓器、腎臓。

しかも、腎臓は、一度弱ってしまうと、回復が出来ないガーン


ん~沈黙してないで、ぜひ伝えて欲しかったなぁ、腎臓よ😭






久しぶりに書いてみました爆笑

そして久しぶりに自分のブログ見返して
見ましたニヤリ
なかなかの毒吐きっぷりに
ニヤニヤしながら読みましたニヤニヤ

今年は、なんか色々ありました
というかね
令和になってからあまり良いことないガーン
良いことはないけど、だからといって
殻に閉じ籠るほどの悪いこともないけど

しかし、色々起きています

ま、これは、また気が向いたときに
書くかな
覚書として





母が認知症疑いになり、
脳梗塞になり、歩くことなど
生活レベルが落ちていったとき
介護認定の話をされた

まだ無縁と思っていた介護
職場では、介護認定を受けた方がいいよと何度か言われていたけど
いやぁ、介護認定なんてまだ先でしょ
私と父でなんとかなるでしょと
半分聞き流していた話

そんな話が現実になろうとは

介護の世界は、私にとっては未知の世界
まず何からしたらいいのか
誰に聞いたらいいのか
自分で調べてみるけど、専門用語が並び
理解出来なかった

そんなとき病院で・・・だったかなぁ
再び曖昧な記憶ですが
福祉担当みたいな方からお話があった

よし!とりあえず認定の申請だけは
出してみるか!
やっと重い腰を上げて行動してみる

とはいえこの担当の方がすごく親切で
この書類を持って役所へゴーって
感じまでやってくれてて

役所に行って申請した
脳梗塞での入院だったが、麻痺はほとんどなく認知症は、今日が何日かってのがわからない、朝食べた物が思い出せないという感じで、だいたいの話は、その時はまだ噛み合っていた

ただ、二週間ほど入院していたため
一気に体力が落ち、体を起こすことと
歩くことは、少し困難になっていた

そんな時、面談の連絡がきた

介護認定には、医師の指示書が必要なので医師がどのように書くかで
認定の度合いも大きく変わってくる

私も立ち会い面談を見ていると
質問にはきちんと答え、
やはり答えられなかったのは、今日の日付と、お昼御飯のメニューだった

体を起こしてみてってのも
右足上げて
左手上げて
もすべてクリア

これは、要介護にすらならないかもなと
思った
要支援には入るかな?と

それでもこれから先のことを考えれば
認定だけは受けていた方がきっと
いいはずだと

確定するまでに1ヶ月近くかかり
やっと認定された結果は

要介護4

要介護4?
え?母の状態はそんなに悪いのか?
そう言えば、医師が言っていた
このまま寝たきりに・・・とか
指示書に私たちが知らない何かが書かれてたのか?

その時は、要介護4なんて大袈裟過ぎるくらいに思っていた

リハビリを頑張ればきっと歩けるようになる
次の更新の時は、きっと下げられるなと
笑い話のようにみんなで話していた

その後、リバビリの為、別の病院に
転院し、そこから母は
リバビリを頑張り、独立までは行かなかったが、杖を使って少し介助があれば
歩けるまで回復していった

食事も自分で食べれるようになり、
私たちがお見舞いにいくと、暗くなるから
帰っていいよと気遣ってくれるように
なった

認知症の方は、さほど進んでる感じでもなかったが、新しい記憶が残らず
何度も同じ話を繰り返すくらいだった
それでも、さっき言ったよ?と言えば
あぁ~そうだったね!なんて返してくることもあった

リバビリ入院は、40日くらいだった


透析生活にも慣れてきて
生活の一部になってきた

透析に行くってことが当たり前
明日透析だから~と
会話の中にも普通に出てくるように
なった

相変わらず血圧は高かったらしい
私は、嫁いで一緒に暮らしていなかったけど、電話の声も元気で
たまに帰ってもいつもの母だった

そんな生活が日常になってきたころ
父が大怪我をした

定年後、しばらくは家にいたが
ゴミ収集の仕事を紹介されたらしく
そこで稼ぐようになった

その収集してきたゴミを分別するベルトコンベア
そのベルトコンベアにゴム手袋が挟まり
そのまま右腕が巻き込まれていった

私は母からの連絡で急いで病院に向かった

どんなに急いでも病院までは
一時間以上かかる
そして到着したころには父は
手術中で、母は私の顔を見るなり
泣き崩れた

すぐ手術に入ったが
出血多量だったのと、運ばれたときには、
皮一枚で左腕が繋がっている状態だったため繋がるかどうかとのことだった

父が運ばれてきたとき、母は、透析中で
看護士から聞かされたといっていた

父が意識朦朧とするなか、
申し訳ないことをした
社長に申し訳ない
と何度も謝っていたらしい

ベルトコンベアの奥に挟まっていた
ペットボトルのふた
それを除去するために起きてしまった事故

ベルトコンベアを止めてから行えば
こんな事故にはならなかった


身内が病院に集合して
元旦那も駆けつけてきて
何時間たっただろうか

父が手術室から出てきた
右腕は、繋がっていた
まだ、麻酔から覚めきれない感じだったが
青ざめた顔だった
私は、涙が止まらなかった

その時、元旦那が私に言った

何泣いてんの?
バカじゃないか?

それから何年かして元旦那と離婚するのだが、私の中で終止符は、今思えば
この一言だったと思う

父は、集中治療室にしばらく
いることになった
繋がっていた右手は、あたたかかった

母は、気丈に振る舞い、透析が途中だったにも関わらず、その日は
お母さんが泊まるから!と言って
きかなかった

私は、母が心配だったが
入院の準備や、母の薬をとりに
一旦家に帰った
介護歴、約2年
ホントに手がかかるようになったのは、8ヶ月
人の手を借りなければならなくなって
半年

たった2年で、すでにねをあげそうな感じです。
長い間、介護している方は、
どうやって自分を保っているのか

私は、それでもまだ一緒には住んでいません。父が、元気だから
元気だからと、任かしてしまうには
77才という年齢もあり申し訳ないけど
朝と夜は、お願いしています

だからストレス量がそこまで
満杯にはならなくて済んでいますが

父は、やはりストレスがかなりあるみたい
最近の口癖は、

10年もこんなことしてたら
介護疲れで殺してしまいたくなる気持ちがわかる


初めはね、私はなんとか父をなだめ、
父の趣味であるグランドゴルフを休むことなくいかせてあげて
私の仕事の時間を調整したり、休みを合わせたり、旦那に我慢してもらったりと
やってきたんだけどね

仕事も時間調整や、休みの希望ばかりだしてると、さすがに良い顔はされなくなる

旦那の家族には、旦那をほったらかしにして!と言われてるし

唯一の救いは、旦那がまだ理解してくれていることだけど、これもいつまで続くかわからない

いっそのこと、離婚して一人になった方がまだ楽なんじゃないか?とさえ考えてしまうこともある

仕事は、出勤時間がまちまち過ぎて
毎月頭を下げてこちらの予定をお願いするのだが、この会社に入社したときは、
母の病院の送迎が出来る時間で
契約していたのに、誰がやめるたびに
穴埋めに入れられて
今や契約時間なんてなんのことやら

契約のままなら頭なんて下げなくていいのに、都合のいい要員にされたおかげで
頭を下げなければならなくて

このあたりは、かなり腑に落ちないけど
まあ、結局辞めることになりました

今の母の状態がよくなることは
絶対ないから
この先は、悪くなる一方だから

やるしかないよね、親だから

でもね、やりきれないストレスは
溜まる一方で
母に、暴言を吐いてしまっては
自己嫌悪になり泣いて
そんなんを繰り返しています


介護歴のある方々は、
どうやって乗り越えてるのか

先が見えないから、苦しいね