私は2017年7月31日に娘と息子と突然のお別れをしています。今日の7月31日で9年が経ちました。
私はカレンダーを見るまで、今日が7月31日であること、9年前の7月31日に娘と息子が元妻とその親族達から計画的に連れされたことを一時的に忘れていました。私にとって遠い昔の出来事になっています。
同意なき子供の連れ去り。一般的には子供を連れ去るのは母親が多く、父親が片親疎外を受けることが多いと言われています。
一方の親が他方の親から子供を連れ去る。連れ去りの原因には緊急避難的な事案も多く存在すると思いますが(配偶者に対するDV、子供に対するDVなど)、他方では冤罪DVによる子供の連れ去りも非常に増えています。
私は当事者になるまでは、「子供連れ去り」、「冤罪DV」と言う言葉は知りませんでした。
お恥ずかしい話ですが、私は「単独親権」、「共同親権」、「監護親」などを考えたことがありませんでした。
共同親権の基本的な意味;
親権=子どもの世話・教育・財産管理をする権利と義務
共同親権=離婚後も父母が共に親権者となる形
単独親権=父母のどちらか一方だけが親権者となる形
共同親権とは、離婚後も父母の両方が親権者となり、子どもの進学・医療・住む場所など重要なことを2人で話し合って決め、子どもの養育責任を共同で負う制度です。DVや虐待の恐れがある場合など子どもの利益を害するときは、共同ではなく一方の単独親権になります。
日本の離婚後の共同親権制度は、2026年(令和8年)4月1日に施行されました。2024年5月成立の民法等改正法により導入され、以後の離婚について単独親権か共同親権かを選べる仕組みになっています。
現在、ようやく両親の離婚後の子供の「親権」について論議される(話題に出る)ようになりました。私はこの場では「共同親権」、「単独親権」の是非について意見を申し上げる気持ちはありません(気持ちが随分と前になくなりました)。
私は元妻と離婚した当時は、娘と息子の親権を持ちたいと心から希望していました。しかし、私は絶対に子供たちの親権を元妻と一緒に持ちたいとは今でも思いません。元妻となら共同親権は絶対に嫌です。
私は元妻とは裁判所で離婚して(地方裁判所の小法廷、家庭裁判所の調停室でそれぞれ争っています)、裁判所で離婚が成立と同時に娘と息子の親権を失いました。その後の生活は言葉には言い表せません。勿論、子供達を連れ去られた後の地獄の日々も。
忘れてはいけませんでした。私は元妻の暴力で手指の一部を切断しています。2017月7月25日、私の誕生日の夜の出来事でした(1回目の悪夢)。
そして2017年7月31日に娘と息子が元妻とその親族達から連れ去られています(2回目の悪夢)。
7月25日の傷害事件と7月31日の子供連れ去りは関連しています。
私が経験した「冤罪DV」、「(同意なき)子供連れ去り」、その後の元妻とその代理人(金権離婚弁護士)との地方裁判所、家庭裁判所での争いでは心身が病んでいき、希死念慮、自殺企図、………、人が人を殺す、法が人を殺す。過去のブログに散々と書いてきました。
この9年間で私と私の両親の人生が大きく変わりました。熊本に暮らしていた父は2024年5月に、母は2025年10月に長い闘病生活を終えて他界しています。両親は最後まで二人の最愛の孫(私の娘と息子)に会いたいと願いながら亡くなりました。
でも、一番の被害者は娘と息子です。子供達には申し訳ない気持ちで一杯です。
私は今までわが家の家事紛争については、アメブロに散々と書いてきました。自分で嫌になるぐらい。
私のアメブロのジャンルは「離婚体験談」です。
今日は7月31日、娘と息子が連れ去られた日ですから、私が経験した「子供連れ去り」について思い出しては書いています。
次回は明るく楽しい内容のブログを書きます(書いてみたいです)。色恋沙汰、あったら嬉しい。
写真は自宅の「てっぽうゆり」です。暑さに負けないで咲いています。
今日もありがとうございます。
熊本地震。
熊本は亡くなった私の両親が暮らしていました。
私の2人の妹家族が暮らしています。
私の大切な友人が暮らして被災しています。
熊本は私が幼い頃から暮らしていました。
また、熊本に、なぜ熊本に。
これ以上は言葉が出ません。
北九州市に暮らしている私は何もできず、ごめんなさい。
