石巻市牡鹿半島
久しぶりにゆっくりと電話で話をした
我等の大将
ボランティア団体
『合同会社チーター』
代表
『遠藤太一氏』
震災復興の為に昨年3月末より牡鹿半島に乗り込み
出来ることを出来るだけお手伝いをモットーにやってきた
遠藤太一氏は頭の回転がよく、人と話をするのが上手い
支援物資を何処に運ぶか、何処が何が必要か、役所の方と話し合い、上手くいかない時もあったけど
他のボランティア団体の方々にはない
無茶をしてきた
俺達は震災後ハイエースとセンチュリーとデリカで牡鹿半島に来た
センチュリーで復興支援とは何が何だかわからないが
遠藤太一にはそれしか車がなかった
震災後に遠藤太一は色々な事が重なった
復興支援に取り組むが為に自信の会社の事を二の次にして女社長に金を持ち逃げされて倒産
事故の裁判にも負けて負の連鎖続きだ
それでも遠藤太一は後一年間は牡鹿半島に身を置くといっていた
なぜなら復興するために作ったプレハブの
『復興商店街』
の期限が2年間らしい
それを見守るまで帰らないと言っている
家族を亡くし、友人を亡くし、大事な人を一瞬で無くした震災から1年がたつが
復興のために、会社も住む家も無くして牡鹿半島に身を捧げる男
遠藤太一の活動を検索して
気持ちのある方、協賛願います

我等の大将
ボランティア団体
『合同会社チーター』
代表
『遠藤太一氏』
震災復興の為に昨年3月末より牡鹿半島に乗り込み
出来ることを出来るだけお手伝いをモットーにやってきた
遠藤太一氏は頭の回転がよく、人と話をするのが上手い
支援物資を何処に運ぶか、何処が何が必要か、役所の方と話し合い、上手くいかない時もあったけど
他のボランティア団体の方々にはない
無茶をしてきた
俺達は震災後ハイエースとセンチュリーとデリカで牡鹿半島に来た
センチュリーで復興支援とは何が何だかわからないが
遠藤太一にはそれしか車がなかった
震災後に遠藤太一は色々な事が重なった
復興支援に取り組むが為に自信の会社の事を二の次にして女社長に金を持ち逃げされて倒産
事故の裁判にも負けて負の連鎖続きだ
それでも遠藤太一は後一年間は牡鹿半島に身を置くといっていた
なぜなら復興するために作ったプレハブの
『復興商店街』
の期限が2年間らしい
それを見守るまで帰らないと言っている
家族を亡くし、友人を亡くし、大事な人を一瞬で無くした震災から1年がたつが
復興のために、会社も住む家も無くして牡鹿半島に身を捧げる男
遠藤太一の活動を検索して
気持ちのある方、協賛願います

別れの覚悟
デコ光り家の愛犬サム
昨日の夜勤が終わり家に帰ると僅に呼吸をして生きていてくれた
夕方家に行くと体調が悪く、嘔吐を繰り返したがギリギリのところで生きていてくれた
地元の犬猫病院の先生によると飲み食いが出来なくなると
『点滴』
をする事も出来るらしい
しかし、今さら点滴をしても19才のサムには多少の延命措置でしかなくそれは行わないで最後はゆっくり逝かせてやりたいと家族で決めた
俺は仕事があるので家には帰れないので最後の挨拶と決め
聞こえるはずもない耳元で感謝を囁きサムにさよならをして家を出た
昨日もこんなblogを書いてたけど
生きていてくれるって本当に嬉しいよな~
家に帰れるのは早くても22時間後だ!
だけど明日も会いたいな

昨日の夜勤が終わり家に帰ると僅に呼吸をして生きていてくれた
夕方家に行くと体調が悪く、嘔吐を繰り返したがギリギリのところで生きていてくれた
地元の犬猫病院の先生によると飲み食いが出来なくなると
『点滴』
をする事も出来るらしい
しかし、今さら点滴をしても19才のサムには多少の延命措置でしかなくそれは行わないで最後はゆっくり逝かせてやりたいと家族で決めた
俺は仕事があるので家には帰れないので最後の挨拶と決め
聞こえるはずもない耳元で感謝を囁きサムにさよならをして家を出た
昨日もこんなblogを書いてたけど
生きていてくれるって本当に嬉しいよな~
家に帰れるのは早くても22時間後だ!
だけど明日も会いたいな






