あなたは、本当に私たちの母親だったのですか?② | 07182019のブログ

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私の2017年からの乳がんと医師と病院との闘いを書いていこうと思ってます。

2007年5月

やっと引っ越しも終えて、

身体と心を元気にすることだけ考えて

生きて行こうと思っていた矢先でした。

 

母が、あからさまに私と姉を

怠け者扱いをしだしたのでした。

 

もともと体が丈夫では無い私たち。

母と同じような体質で、

しんどさは一番分かっているはずの母が、

私たちをそういう風に扱うとは、

信じられませんでした。

 

姉は、生後10か月で、
心臓に穴が空いていることが発覚し、
未だに心臓が弱い。

 

私は、子供のころ
小児喘息を患っていたり、

引っ越ししてから分かったことですが、

10年前に脳梗塞を起こしていたり

いろいろ大人になってからも大変でした。

 

会社をしている間も、
ずっと不調でしたが、

休むわけにはいかないので、検査もせず、

日々暮らしていたので、

40歳にもなるから

これから治療していこうと思っていたのでした。

 

そんな2人に、母は、

「金食い虫」

「いつから働くの?」

「元気なのに、働かないなんて恥ずかしい」

とことあるごとに言い出しました。

 

そういいながら

自分は、家事は何一つせず、

姉に全部させて、

月に1回ホテルに泊まりに行き、

その段取りも全部私がして、

それなのに、

私たちが出かけて帰ってきたら、

全てチェックを入れて、

「高いものばかり買って」

とずっともんくを言ってました。

 

何をしても、

何を言っても、

気に入らなかったみたいでした。

私たちの存在じたいが、

気に入らないようでした。

 

だんだん一緒にいるのも辛くなって、

私は、何度も

他にマンション買って住もうと思ったけれど、

そのたび押しとどまった理由は、

父との約束でした。

 

小さいころからずっと

「お父さんが先に死んだら、

お母さんの事頼むよ。

悪いけど、

最後まで面倒みてやってくれ。

何にも出来ない人だから。」

と言われていたので

姉と2人我慢して暮らしました。

 

もう一つの理由は、

父が最後に母に残した

ルルちゃんというダックスフンドでした。

 

この子が、母になついていたので、

連れて出て行きたかったけど、

引き離すわけにいかず、
私たちは耐えたのでした。

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