人生50年経った ④ | 07182019のブログ

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私の2017年からの乳がんと医師と病院との闘いを書いていこうと思ってます。

母は、
2000年に
父の病気が発覚して、

2023年6月に

自分が亡くなるまで、

一切、私と姉に

「ご苦労様」

「ありがとう」

「よくやってくれた」

などの、

ねぎらいの言葉も、

お礼の言葉も

言ってくれませんでした。

 

 

それどころか、

私が、乳がんになって、

姉が付きっ切りで

お世話をしてくれたのですが、

1度も、

私にも、姉にも、

「大変だったね」

「良く頑張ったね」

「助かって良かった」

の言葉もありませんでした。

 

私の病気は、全て、

「ストレス」が原因なのですが、

どう思っていたのでしょうか。

 

 

父が亡くなってからの18年は、

「生き地獄」でした。

 

まだ、

40歳と37歳の姉妹でしたが、

2人は生きる気力をすっかり失っていました。

 

やっと逃げ出せた田舎から、

神戸に来て、

やっと何にも

追い回されることのない日々を
女3人で、

平和に暮らせると思っていたのに、

それすら叶わなかった。

 

青天の霹靂でした。

 

いろんな夢を、

全て、母に壊されました。

母がいる限り

私たちには、

「自由」や

「未来」や

「希望」を

持つ事がなかった。

 

そのことに気づいたのは、

2023年の事でした。

 

ずっと、

「希望」なんて持つ事すら、
考えてもいなかった。

 

去年、

母が亡くなって、

ふと、

『母が居なくなったら、

何でも気にせずして良いんだ』

と気が付いて、

 

初めて、

『ああ、私たち、
希望すら
持てなくなってたんだ』
と思ったのでした。

                       

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