昭和47年7月
オイルショックの始まる少し前に、会社創立。
それからは、不景気との闘いでした。
小さな工場から、どんどん大きくしていって、
初めは、見向きもしなかった金融機関に、
あちらから「融資させてくれ」と頼まれるまでに、
15年くらいかかった。
手形を割ってくれず、
金策に走り回って、夜も眠れなかった日々。
私が、夜中に目を覚ますと、布団に座って、
目は閉じているのですが、
ずっと会社の事を考えて、眠れていなかった父。
寝言で怒鳴り散らして、
大声出している父。
やっと眠れたお父さんを
起こしてはいけないから、
小さい声で話す私たち。
父を途中で起こすことは、
我が家では、大罪でした。
「工場の機械が動かない」と、
残業している従業員から電話があって、
もう9時過ぎてるのに、車で出かけて行って、
工場の天井から滑り落ちて、顎を打って血だらけで帰って来て、
夜遅いからとそのまま絆創膏を貼って寝て、
朝一で病院に行って、5針縫って、
当然のように、
そのまま会社に出勤して行くのでした。
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