私から見た父は、

 

一生懸命生きすぎて、

先の先まで見えすぎて、

自分を過小評価して、

自分は、努力しないと人に負けると思って、

人の何倍も努力する人でした。

 

ある時は、

取引会社の新卒の設計士が会社にやってきて、

 

「社長、この製品、図面上私の計算では、

 完成するはずなのですが、

 製品が作れないということで、
 返品されてきました。

 どういうことか教えてください。」

 

ということがありました。

 

職人でもあり、
図面も書けるという貴重なタイプだった父は、

その設計士に

 

「よく、わざわざうちまで聞きに来てくれたね。

 偉いな~。

これはね、確かに、
図面の上では、丁度で、1ミリの狂いもない。

しかし、相手は鉄板なんです。

曲げた時のゆがみを考えた上で
図面は、描かないとだめなんですよ。
」と、


相手へのリスペクトを忘れず、

どんな若い相手にでも、聞きに来る人には、
優しく丁寧に教えてあげていました。

 

 

また、別の日には、従業員に頼まれたことがありました。

 

「社長が、自分が天才やって分かってないから困る。」

 

俺みたいな不器用な男が、
これくらいの時間で
新しい仕事できるんやから、

君らみたいな器用な人間やったら、

もっと早く出来るで。
頑張って


と言われた。

 

「娘さん、社長に、

 あなたはまれにみる天才だって言ってください。」

 と。

 

大人になって、一緒に働くようになって、

父は、自分だけが解る方法でしか、
私に言わないので、

初めの1年くらいは喧嘩ばかりしていました。

 

材料も、何百枚と間違って頼んでしまったり、

電話も名前が分からない人からかかってきて、
ちゃんと繋げなかったり、

そのたび、大喧嘩。

 

涙をあふれさせながら、
抗議したこともたくさんありました。

 

それでも、

必死でお父さんに食らいついて、

いつか、

「あんたが居ないと困る」と言わせてやろう
 と思いながら、頑張りました。

 

3年が過ぎたころ、
だんだん仕事の内容も解ってきて、

取引先の人たちにも、

信頼されるようになっていきました。

 

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