私と会社1 | 07182019のブログ

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私の2017年からの乳がんと医師と病院との闘いを書いていこうと思ってます。

私が、5歳の時に始まった会社で、

23歳の時、株式会社になり、

それから約15年

父ともに、頑張ってきた会社でした。

 

いろんなことがありました。

 

ある日、家で夕飯を食べていたら、
後の工場長と、同期の従業員が来て、


「社長、話あるんですけど」ということで、


父が外で話して戻ってきたら、

 

「給料あげてくれないんだったら、
 辞めて他にいく。こいつも連れて行く」

 

という、なかば脅迫みたいな話でした。

 

父は、微笑みながら、

「辞めたいんやったら、
  辞めてくれてけっこうだ、と言ってやったわ」

 

その後、


「めーちゃん、
 お父さん、このセリフ、やっと言えたわ。

 うれしいわ。

 今までは、こんな3Kの職場
 来てくれる人いなかったから、

 どんな悔しいこと言われても、
 辞められたら困るから、 

 ずっと我慢して、言えなかったんや」

 
 と、言っていました。

 

 今思えば、私は、この時に、

  
 「許さない!お前たちの事を、

  これからも、決して信じない」


 と、心に決めたのでした。

 

後に

 工場長の同期の人は、

 工場長を見捨てて、一人で辞めて、

 トラック運転手になり、食べられなくなって、

 「また、雇ってほしい」と言いに来ましたが、

 もちろん、断りました。

 

 父からの信頼を得て、実務をまかされるようになると、

 従業員からいろいろな苦情は、
 全て私に来るようになり、

 事務所には、毎日 

 いろんな従業員がそれぞれの悪口を言いに来て、

「これこれこうで、あいつは、あかんから、辞めさせてください。」

「あいつは、生意気です。辞めさせてください」

 と、私に頼んで行きました。

 

父の耳に入ると、

父は、陰でこそこそ言う奴が嫌いで、
怒りだすので、私の胸に収めて、

「まあまあ、彼もそういう意味で言ったんじゃないでしょうから」

と言って、幾つものもんくを堰き止めていました。

 

精神の弱いKにいたっては、
何かあれば、他の人とぶつかり

家族にも見捨てられ、
自殺しかねない状態だったので、

なだめたり、はっぱかけたり、相談にのったりして、

機嫌よく出社できるように頑張ったりもしました。

 

Kが、究極に落ち込んだ時は、私の目の前で、

「僕なんて、ここに居たら、迷惑ばかりかけるので、辞めます」

と土下座しながら、号泣しながら、
出勤表をブリブリに破いて飛び出した時は、びっくりしました。

 

父の1度目の入院の後だったので、
父が戻ってくるまで、
一人でも従業員を減らすわけにはいかなかったので
病院を紹介したり、早退させて、
受診するように言って、

通院させるようにまでしました。

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