意味がさっぱりな人へ。
キリスト教(一切の教え)や仏教(聖の智慧、理解)がど真ん中の現実として、只今予感出来なくても大丈夫。人生の保証はいつも武士道です。
武士道は「言葉の力を知るもの」ですが、これではよく分かりません。これは「陰湿にならない」ということです。
女と暴力(エロス)の未達(分解)によって、陰湿になってしまいます。
まず万年(血液関係)を出て、社会に出て、部分職(営業や店員)では、現象として陰湿な川下系男子とかならず出会います。(その時節での色(物理)です。)女性を知らな過ぎる故に多数への興味を持続して、部分的な暴力(俺こんな感じやからな)の露出にファッション性を感じて自尊心に転化させる。集まりの中で、面白い事を言うのが一級芸の感受になる。待ち合わせ場所まで走らなくてはならない回数が多い。その頃は経済活動が全て単利になっています。(バラバラに出る炎と、怠惰の交換。)
ここで過去でもなく、未来でもなく、脇見運転せず経のまま紡いでゆくと、状況は徐々に変化してゆきます。「守る」の定義を上(主)に向ける感じです。行いがはじまり、下を好きであれ嫌いであれ、愛さざる得ない状況になってゆきます。
まず義憤(右に偏り、左を殺したくなる様な)で登る。(オレンジ色の炎。)
つぎに武士道(右がありて、左(敵)に応答する。)(青い火)になってゆく。
はっきりとした段階があるわけではないが、これらを経て、極道(仏教)や、真理(キリスト教)があります。歴史(パシャン)でも武士から、仏門をくぐりますね。
義(圧倒的な暴力、収束)と、女(存在物理の収束)が分解することで自然現象として、暴力性と女性が分解されています。
義(衣)がないときは洋服の消費購買で全体性を回復する様になっています。(ブランドロゴ等)また女を知らないときは、女性達を回転させてるのをイケてると感受して、次の女性とのセックスや交際の達成で全体性を回復する様になっています。(色が連環しているのでその様な周囲もいます。)
重要な事は只今のその名と色(五蘊)は固定的実態であるか、経過であるか。(繰り返すと不幸感が出るのは、経過である為です。)
義が先にありますが、義と女(女達からの収束)は、セットだと覚えて善いかと思います。
