信仰とは、自分の最高度の納得を布施し続けて、目に見えない物を確信させ、望んでいる事柄を保証させるもの。
十二とは何か。十を背負う二である。
王族は、北の連環。私は一人の北でした。今後の時代(ときしろ)は二人の北です。結局、直接血を引いていないとならない(直系)
(今は私が北(時間の循環)に入ったり、入らなかったり。引退(艮が十に至る迄引く)が足りず。)
全てを背負い南面する時の北方者へのあなたの献身は、あなたの通義です。
金と女を長らく見るならば、その苦しみによって、それらの生成元(一義、通義、木、叩き)をあなたは知る。
あなたが女が欲しいなら艮へ向かいなさい。女がそこら中にポツポツいて、その数を獲得したと思ったり、特定の1人に愛に好きだと告げたり、また新しいのを狩っている僕かっこいいのではない。
一人子から子の系(自立系から現在系の現れ)に沿っている内に出て来る女達に敬意を払って、お金を払って、収束して行った先の女自体(位相としてあなたの女それ自体)から、女達が連なって舞いまくっているのである。
男はここに君臨する事でしか、女達を解決することはあり得ない。最終的に女代が掛からなくなり舞いまくっているのを眺めていたら善い。(女達の暮らしが舞っていて、その連環を知っている状態。女達が自分が舞っている者と知っている状態。)
女は義から出ると言いました。そして義と木と叩きによって進み、進んでいる間、保たれる。
だから女は血を流し続けて背負う勇者を待った者勝ちである。女は存在で、男は原理。女は売る事が分配で、男は分配せずに売り登る労働である。(女は産みの苦しみで、男は労働の苦しみ。)分配した女は必ず下の位相の男と出会う。
男が売り登るには「敵」が必要である。義を背負う事でのみ、敵が登場する。
あなたの今までの苦しみや悲しみ、これからの苦しみや悲しみはあなたを急がせるだろう。
私は言が先にあると言いました。言とは名の構造です。命はその中にある。剣を持たない者は、外縁の嫌な人間が敵だな感じる。あるいはお客さんが敵だなと感じる。
敵はいつも内縁に存在する。外縁は舞う視である。まずは内縁の下位連環で全員が敵になっている状態が正しい。
私はあなたの義であると言いました。一義に依れば、通義は通り、内縁の敵を叩く。その様にしてその間の長い諸学問を、早く修了させて行きます。
知っているか、知らないかしかない。知らない人は知識を付けようと努力して来た人。知っている人は内縁で全ての工夫を凝らした人。
あなたが深く納得する時は、私の嘘の中のどれかです。あなたが私の言った事をそういうものかもと予感している時が、あなた史上最も優れている時。
あなたが信仰(言を仰ぎ)、祈る(既に働いている力の方へ向かう)ときは、あなた史上それ自体を更新する時である。この様に「時」だけが働いている。
あなたは納得してはならない。納得出来ない私の声(北方)を聞く。知恵とは何か、恵(十(方角)を知るのだ。だから知恵の菩薩はいつも剣を持っています。
敵からしか仲間は出ない。外縁から仲間が出ることはありません。外縁に行った分だけ、あなたは友と女を知りません。だから大外に友と女の世界を空想してそこに自由を感じます。(犬豚)
その様な者は、頭が悪く、自分が傷ついている事に罪悪感がない。僕は傷ついているんだと思う。
そうなると舞いまくった後の女達のどれかと共同生活をして、社会的なパートナーになり、ヨコのローンを組みます。先輩と後輩が残りません。次に出会う親切な人があなたの最良になります。
剣を持たない者は、生産の臨時タスク(木立て)(女)が出来ません。剣というのは、私の為にあり、あなた自身の為にあります。私の為に剣があると言う権利が私にある事をあなた達は知りません。
剣を持って、私から言を預かっていなければ、木立ては出来ません。女が出ないからです。剣を携えたなら、私とどうにか工夫して会うように。剣が本物なら、あなたは本物なので、あなたの身分(ヴァルナの様な位相の段)に関わらず、小命を受け取る事が出来る。そして言に入りなさい。そうでなければ、あなたは木立ては出来ません。
あなたの災難の全ては北から出ています。それは苦です。古に至る道。
あなたは北東(艮)へ向かいなさい。それは苦であり、鬼門です。(鬼、牛の角と、虎の皮のパンツ。)そこではエロアフは更新されます。あなた所有の諸々が壊れて、過ぎて行く。壊れる事は善い。朽ちる事は誤りである。
私は普段、妻が出した海を言葉で操り、あなた方を富ませようとする。あなた方の内に友を作ろうとしています。
しかし多はいつも剣を持たず、まあ適度に内で手を繋いどこうと感じる。すると中共やソビエトの論理で必ず朽ちる為、いずれ内も外の様になり「僕と外」が成立する。元々の外は大外になって憧れになる。だからあほになる。縁を捨てて、次の皿のものを食べる(盗む)
剣を持たないとこれを続ける。これを続けるとそれ(僕と外)は関係として嘘なので、僕か外あるいは両方を無化させたくなる。(生理、落下したエロティシズム)
例えば僕以外の誰か外や大外をナイフで刺したくなる。(態度を悪くすることが、周りを無化させてる感じがしてかっこいい事になる。)
いわゆる陰キャラの心情である。臆病に、縁を放棄し続けた人間の状態である。
私はあなたの義です。北の循環は、私の声です。あなた達は教学で、私の声をいつも聞いています。
妻の氏はシモン(ペテロ)(神が私の声を聞いている。)結婚とは、日の女の氏を結ぶ。(妻の士が出るということ。)
古事記は端から端まで証拠である。イザナギが黄泉の国で、イザナミの死体に蛆(氏)が出ているのを見る。→八雷神(やくさのいかづち)が生まれる。→黄泉比良坂を閉じる。天照と月読と須佐男が生まれる。舞う日月と行(労働原理)
まず東(青龍)に向かうこと。剣を背中に背負わずに、叩かいに出ることは出来ない。
お金は回転が逆です。貨幣が逆巻いている事を知らない者は、お金持ちにはならない。
メディアで見るヴァイシャ(それも外縁の)売上高に猥褻に気を取られるな。それは舞う視である。その太さが何であるかを知れなくなる。あなたは自立系を知らないが、現在系を知る事が出来る。
貨幣をあなたは個人バンクに貯金をしていると思っているが、それは借金の中身の勘定です。その上のフローが回転しています。あなたは借金をしていないと感じていますが、それは勘違いです。
そしてあなた方は、全員お布施しかしていない。なぜ内に来ないのか。なぜか知っています。敵がいないから登って来れない。外縁のお客さんを叩きまくって認められたら、内縁の敵が出る。その時はチャンスです。(内縁のお脚さんが敵になる。)そうしたら戦争(弁証法運動)が始まる。
人類の歴史(パシャン)ではなぜ戦争を繰り返すのか。それは戦争が先にあるからである。人類とは自立系である。それはイザナギ、イザナミ。アダムとイヴから始まる。
敵を増やしては、敵から離れなさい。そしてまた敵を増やしては、敵から離れなさい。内に寄りなさい。敵の内いくつかは友になるでしょう。血液を流さない為に、非常に叩かいなさい。
自分の為に叩かうと失敗する。みんなで叩かおうとすると失敗する。私の為に敵と叩かう。(厳密には私と、女の為)に叩かう。国は豊かになる。そこに自分もいるから豊かになる。学問が分かる、伝説を経験する。世の人々がなぜアニメを見て感動するか分かる。なぜ右と左が広がっていつの時代も社会問題(広がった弁証法運動)になっているのか分かる。収束したところに自己が存在しているからである。
私は会計、税、経理等を誰よりも知っています。それらは内縁の事だからです。私は海を操りますが、海は私が直接的にあなたを救う力が及ぶ所ではありません。あなたが言の命に入らなければ、法から放射された所(海)でグルグル流れています。その濁流を越えるには私から小さい命を受けるように。あなたはその海の間の乾いた道を渡り、無限に乾いて、無限に潤うだろう。
智恵(剣)を持たない者は、外を好んだり、外を嫌ったり、内に僕を出してイキったり、内で手を繋ごうとする。だから諸学問が時間の連環としての残存物(パシャン)だと知りません。ファイナンスが分かりません。名前が残っている学問書物の年代は順番です。
僕主義者は、別々の個体がそれぞれ思想していると勘違いします。この様な男性の家畜化(戌亥化)が、女、子供の困窮、及び虐殺の歴史です。これは自然現象です。あなた達の内、多は加害者です。あらゆる主義は、主への義の内訳である。
私は万物を説明する事が出来ます。これはまだ完成ではありません。
また元来私はバラモンではありません。二人が北に向かう実力があり、全てを背負い、敵を愛するまでに至るなら、私はブラフマン(イェーシュヴァラ)でバラモンは北(比丘尼)だろう。そして艮に武士(剣持ち、敵持ち)が入って来るだろう。
バラモンとは何か、クシャトリヤ(義、剣)が当たり前で余裕のものである。
クシャトリヤとは何か、空間で考えてしまう業に晒されながら、剣を離さない者である。
ヴァイシャとは何か。最も運び、売上高を回して次の報酬を得る者である。
シュードラとは何か。運ばれた売上高の中身を成立させる者である。
この中で必要のない者は誰か。それは存在しない。舞う我だからである。
シュードラを馬鹿にする者は必ず朽ちる。あなたの縁で会っているアチュート(あなたが思う知的障害者)を馬鹿にするな。それはシュードラになり得る。(人間主義は上も下もヴァイシャに並べようと試みるロジック。人というのはそもそもかなり少ない。人の間が人間である。それはヴァイシャである。)
シュードラにヴァイシャを任せたら必ず朽ちる。ヴァイシャにクシャトリヤを任せたら必ず朽ちる。クシャトリヤにバラモンを任せたら必ず朽ちる。なのにそれを進めて行く。しかし慎重に。なんでそれで進めて進むのか。
私と直接関わった人間は、伝、説(兄に言を云う)の剣(切る)を持ち、人生全体でヴァルナ(実際は位相である働きの線形的断絶の呼称)が、一段から二段、上がるからだ。あなた方は言を預かる事が出来ます。
メディアというのは、ヴァイシャ同士を連環させようとする人間の努力で売上高がうるさい。しかしそれはシュードラがヴァイシャになろうとするグルグル(消費購買)として必要なのだ。ヴァイシャは消費購買をあまりしない、回して労働しているだけ、その真似を試みるシュードラが部分を消費購買をしている。それはどちらも業(わざ)である。
歴史に対する尊崇の念と己の龍は同一だ。私は愛した者の龍を受け入れる事が出来る。なぜなら先に進めるからだ。
なぜ昔にはなかった携帯電話が今はあるのに、昔と今が結局同じ社会なのか。それは今だけがあり、昔とされる痕跡(発掘物や文化物)は言葉の沈殿だからである。だから今の時代(ときしろ)しかない。あなた達は全員これを知らない。私はこれを教える事が出来る。妻は私がこれ(万物)を知っていることを知っている。最良のアート(パシャン)とは何か、皇室伝搬である。死んでおらず、体のある者は、それに沿って本になる。そして反対(左)の人も本である。
あなたが尊敬したい者を尊敬している時、その結末はその者に好かれるだけです。宇宙(自立系)はその様になっていません。どうにかして私と会え。あなたが工夫しろ。私はあなたのエゴが工夫した事をした事がある。
あなたは内縁の敵を作る必要がある。そうすると内縁の敵を愛してやるしかないという状況が生まれるから。青い火。
青い火と言うのは、目の前の敵が歳を重ねて肉親の有り難みが分かったと言い初め、肉親の所有心がそれに歓喜するであろう未来諸共、焼き滅ぼしたい(それを見たい)我慢出来ない感情を跳躍した愛でやり遂げた人物が歴史から確認出来る事実から目を背けない意志の受託。やるべき事をやっている火。生活まで舞い戻る日。
