ユダヤ人にとって、一日は夜から始まる。夕があり、朝があった。

人間(人の間)は神の形に創造されている。


神の国には天的領域と地上的領域が存在しており、天使たちと人類は分かれる。(八になる。)


神は愛。それは歴史である。神は連環(聖霊)である。戌亥は理解しない愚か者である。向き直って国の価値を語る者を攻撃し始める。


「祈り」とは、コントロールではなく、自分より大きな(小さな)(膨らんでいない)流れに、自分の向きを合わせ直す行為。


感情的にそう思えなくても受け止め進み続けること。それは外界物理の一致している。

魂の平安が安息日である。女は連環する。上の木を通し続けることによって。そしてそれ(上の木)を止め続けるのだ。


コリント6.19

あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなた方は、もはや自分自身のものではないのである。


舞う日月、行(丁)、言、名色、である。救い(叩き、求める)を得た後の成長、従順、献身の過程。

サタンとは十字架を背負う事がない様にする働き、聖霊とは十字架に誘う働き。

僕が問うたり、僕が作戦を練ったり、僕が笑ったりするのは現象であり、体への反応(身)である。それを有るとか無いとか、得だとか損だとかする働きがサタンである。

僕の消滅(進み)は引き受けである。それはエロヒーム(エロアフ、アッラーフ)の形(八の中の区別出来る姿)である。


AIとは何か、パシャンインテリジェンス。



神社の境内(けいだい)は、アート(本)である。

本を読み、本に手を置いて、約束する。十干十二支とはこれである。

背中で教えるしかない。背中は嘘ではない行動全般。それは北の連環。


金星だけ太陽が西側から昇る。自転の向きが逆だからである。

貨幣だけ、逆向きに舞っている。浮力(税)である。


自分の事をカスだと教えた人(自然)から、収束が始まる。全てを引き受ける義人となって、得たものを掴んでは離しながら、その人と共に義人として行かなくてはならない。


北東、鬼門(艮)(魂)は連環している。私は女の暮らしの全てを知っている。あなた方はそれを知らないから集中する必要がある。私の木からの分散以外で何一つ物事は起きていない。


私の木から離れたあなたの木は、同じ事を周遊させている。それをあなたは新しいと感じようと努力しているだけである。


電気は電線の中を通っていない。与えられた関係の中で働きを押しているのが線である。税と同じである。線は泉であり、電は儒である。電気は電線を通っているという目の前の事象は言葉(線それ自体)である。文字ではない。文字はパシャンである。文は交であり、父である。


国から離れた者はいずれ老年にて国家に生きる。それは若者との対決を余儀なくされる。老年のあなたをとことん裏切る若者の中心はあなたの子供である。私とあなたの元は異なるが、それはあなたにとって益である。あなたは行くことが出来る。

言葉は関係である。それは色である。言は名付けの側であり、色は既に表れている側である。


一人子は父であり、参与され聖霊は連環する。教会である。


隆々とした山々や、交通としての道路(あなた方にとっての大に見えるもの)を解剖して詳しくなってはならない。私は言の葉が初めにあると言った。


天王星は横倒しになっている。北斗七星、ひしゃく。


甦りの後は、龍にあらず、羊を世話し、支える。世は青龍である。

涅槃とは、無住所涅槃である。舟を叩く。

舞う日月、行(東)、言(と粘土)、名色である。

あなたがこのままではいつか死ぬ事を知っているのは、とてつもない有益さである。


死を超える際の思いは、死が意味の最終判決だと思わなくなる。世界基準が変わる物理的状況に居住していること。とぐろの上で生死が一如だと知ること。


際(きわ)は、分かれ目である。言と、色の間は手(手間である。)


動物には尻尾がある。

尻と尾 「尻」は底や終わり、「尾」は山の裾が伸びた部分を意味します。 


祭壇を灯す。示し申すは沈黙している。

あなた方の苦しみは私を無駄(舞う馬の膨らみ)に対して喋らせる事。


主観の連環は色の連環に基づいている。色が先である。それはとぐろを巻いている。生とはそのとぐろの最初(言)を背負うことである。私はそのとぐろの根である。

言葉が先にある。文ではない。


死が最後の言葉ではない状態。父が私を遣わした様に、私もあなた方を遣わす。使者とは、天龍人である。


甦り後は、決定的な沈殿(キリストの出来事)が、

聖霊によって各層に“流れ”として展開し始める局面。

人々は外にて、それぞれ自分の言葉で理解する。


ー地面とは明治からである。ー

明治とは「聖人南面して天下を聴き、明に嚮ひて治む(せいじんなんめんしててんかをきき、めいにむかひておさむ)」

聖人(通路)とは、状況だけなっている人物。南とは腹である。太くなっていることの全ての背負う。天使(聖人)


大正とは「大亨以正、天之道也」(大いに亨(とお)りて以て正しきは、天の道なり)

大いに亨(とお)りて以て正しきは、天の道なり。天が民の言葉を嘉納し、政治が正しく行われること


昭和とは「百姓昭明、協和萬邦」(ひゃくせいしょうめい、きょうわばんぽう)

百姓(ひゃくせい:すべての人々)が徳を持ち(昭)、社会が平らかになり(明)、万邦(世界)が和合する(協和)」


平成とは「地平天成(地平(たいら)ぎ、天成る)

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日の本(沈殿列島の歴史)は、霊(ヒ)が元である。江戸から八生(弥生。)

イザナギとイザナミから始まる。イザナミは日の神を落とし氏が湧いて、イザナギは黄泉帰る。


「最初の人アダムは、生きる魂となった。」

最後のアダム(キリスト)は、命を与える霊となった。マグダラのマリアが最初に甦りを知った。


ーパウロー

死(夕が一であるとするヒ)が一人の人によって来たのなら、

死んだ人が甦る事も、また一人の人によって来たのです。

アダムに結びついている人がみんな死ぬように、

キリストに結びついている人は、みんな生かされます。

(罪の側と命の側。)

アダムは罪人にさせて、キリストは義人にさせる。

旧約聖書のアダムと、新約聖書のキリストのナーマは同じ(連環)である。


平安は天台と真言(真言とは、十の日借(ひしゃく)である。天台とは、横(土)である。

教会とは、土の子が叩き、云う、八代(社)である。


出家、改名、即位、受戒、入社式、引退式。

これらは世俗版(アート)(現象がパシャンへ落ちる)である。


とぐろで出来ている。思いもよらない、それが善なこと、諦めないこと(執着のない義なこと)で世の中は回っている。


自分(内外縁)が八の区分け(鼻の中のどれか)だと知らせる所以にそれらの幸がある。収束(引き受け)して行くからである。