社会生成から併存的空間誕生迄の簡易的なコード。

記号集合体内の社会生成の最初のコード。コードとは記号集合体内、おおよそ同列の記号と記号の符号(言葉)から下位列に至る符号の羅列。形態化された文字記号やアルファベットによるプログラミング(タグ打ち的な)の全体性を回復したバージョン。


既に体感で絶対化されている禁止の延長線上にある禁止の最深部の主体を絶対化する。禁止の主体を団旗として偶像化する事を人間間で合意する。禁止を下げる形態化の暴力の働きに対して節度(戻る暴力)を設ける。これら一連の生産関係が記述されている学問を設置して節度空間の中で学ぶ。一定の抽象度の禁止に根付いた小社会が形成される。小社会形成後は、抽象度の高い禁止を伝播しようとする戻る暴力のアトマスフィアになっているか、それとも形態化の暴力を否定するアトマスフィアになっているかに常に注意を払う。次に禁止の抽象度と相談して、節度からモノと個人の連環の間の働き(経済圏)を更に被せる。その経済圏の緻密な働きを抽象化した機能的役割(労働、日常的なタスク、常時的なタスク)を敷いて労働の生産関係を保証する。尚リクルートに関しては、戦後民主主義内の働きによる多神的併存空間を想定し、労働(機能的役割)の下に併存空間の最初の分裂であるロマン主義を敷く。(労働を敷けていない併存的空間の時間にロマン主義を最低保証として敷く。)ロマン主義が個人主義的な精進を起こす。


上記のコードに沿えば、現象的対象事物を絶対化した多神的併存空間の生存者は、緩やかに最初の分裂、最初の外側の神のロマン主義(個人主義的精進)に戻ろうとし、常時タスクという労働によって空間的共在性(常時的なマインドフルネス)を通り、最後節度と学問、最後に禁止の主体に対する絶対化の合意によって、目の前の生産関係に突入し続けて、分散化された快楽の集約「生きる」を実感して全体性が回復されてゆく。時間を掛けて経験の構成を更新し、元々就職先と自分の家族、異性(プライベート)は仕合せられる。禁止の主体の中に文化(あらゆる節度と、家族友人)が抱合され、その中で非個人的に生産関係に突入する労働を行う事が出来る。

禁止を共有していない知人を友人と呼びたがったり、先輩や後輩、お客さんをバカにして猥褻な悦を充足しようとする併存空間はなくなる。つまり自己から関係付けた職業、休日、異性、ロマンという現象対象を実態と定義して個人を増大させる外側に多神を置くカルト宗教に生きて、自己を肥大させなくて済む。(尚、経済域の肥大に伴って、人が多くなればなるほど社会形成の基盤のコミュニティは、禁止の抽象度を引き上げなければ、各段に禁止を卸す事が出来ず、小社会は正統な中社会に移行出来ない。中社会に移行せずに人口だけが増加すると、小社会が統治する対象として、大量の構成員という対立関係が起こり仕合わない。)



①上記のコードの羅列を機能させる計算式は高い禁止位置から発揮される戻る暴力の全般的なバイブレーション(情熱)になる。中学校の物理学がモノとモノの連環で、西洋近代科学の最新が自己とモノの連環であり、それら学者達の知の情熱は、行動の情熱と出自を同一にする併存的な空間から抜け出そうとする分散化されたエロスの衝動であると悟った時、禁止の主体に寄った時間的持続性の体感、あるいは空間的共在性の体感、あるいはロマン主義的な体感を発足地点にした情熱によるバイブレーションが戦後民主主義の多神的併存的空間をその地点迄引き戻す。頭を駆使し、移動(足)を駆使し、表情を駆使し、音(声)を駆使し、生産主体寄り(連続性)へ引き戻そうとする情熱の流れが、西洋科学や構造主義の知の情熱全ての伏線の回収だと理解する必要がある。



②社会の経済圏というエコノミックの作用(当団体のM&A、自社投資の多いフランチャイズ事業の設置)は、節度からモノと個人の連環の間の小社会に位置しており、その生産性能は禁止の抽象度に依存している。また、収益性(報酬)は対立構造ではない状態(役員と被雇用者間では無い状態)においては、高い生産位置(禁止位置)に依存した収益として実際に享受されるが、啓発の際に駆使する未来の生活に対する高揚という、未来に対するインセンティブの表現は下記③に記すロマン主義に対応した広告である。またこのような未来をキラキラさせる事は、今やるべき生産内容に突入する体感を持たない、併存的空間の中で生きる個人主義者に個人主義的精進を引き起こさせる相性として抜群である。(第一に生起する併存空間がロマン主義であるから。実際の抽象性が併存空間内に閉じ込められたのがロマン主義。ロマンの抽象世界と、うだつの上がらない日常という最初の併存空間の生起。)


③上記コード内のロマン主義を敷くという表現の説明。まずロマン主義とは記号集合体内でモノと自己の連環のコードより下部で幻出する最初の併存空間(自己から関係付けた抽象性、ロマン主義)であり、これに対する広告全般をロマン主義を敷くと表現している。ここにスピリチュアリズムがある。それは旅行、高級車、高級腕時計、仕事しないで済む条件、美しい異性の獲得であり、それらを一緒くたにした符号と符号のラベル(観念的デザイン)がロマン主義を敷くという事。役職者は通俗的に言われるイケてる人になって、あるいは設置して、多神的併存的空間に生きる人を最初の併存空間迄、誘い個人主義的精進を引き起こさなくてはならない。それらを既に一緒くたにラベル化している代表例は、個人主義社会で流行するハイブランドアパレル企業のラベル化、不動産業界のタワマンのラベル化、情報商材屋やネットワークビジネスの起業家というラベル化がある。(ここのラベル化が成功すると次の抽象度のラベル化である社内独立と計算式が連結して置いてけぼりにならない。社内独立のラベル化の後は労働が連結し、生産主体が連結する。)ロマン主義(一緒くた)のラベル化を既存の企業に習ってお手本にしても良いし、そのままそのサービスを拝借して写真として流したり、日常で見せびらかしたり、空想されたりしても良い(グループ通信やトッププレイヤー広報、また勝ち組と呼ばれる生活風景の空想をさせる立ち回り。)ラベルとして最も強いのは、抽象的容姿の異性の露出とキラキラした物品であり、俗っぽい意味での若年層のイケてる人がロマン主義広告として作用すると、多神的な併存空間に生きる人が、最初の併存空間に戻る為の個人主義的精進が生まれる。ラベル(あらゆる街の広告)とは記号集合体下部の併存的空間内における個人と外側の抽象性(ロマン主義)という対立構造は一致させる事が出来るという嘘である。沢山の嘘に埋もれている人を最初の嘘まで戻さなくてはならない。(例えば、私のブログの写真は個人主義者の体感における日常に対する非日常ロマン主義にあたり、その関心付けがないと記事の内容(生産関係)に入ろうとしない。)


④外側の現象生起を多神的に認識する併存的空間から空間的共在性を通して時間的持続性に戻っている確認とは、義理の体感理解である。空間的共在性時点迄は、通義がよくわからない。併存的空間の時点では、通義を通す人に対しても、合わせるかスネるになる。

上記コードの生産主体(禁止の最上位)の絶対化と節度の設置の後、2人以上の小社会は生産関係に突入するという作業の進みに義理が生まれる。その時点では既に礼儀(道理)をわきまえるものは合意に達する(頭を下げたり、自分がイキらずに本気で関わると合意が取れる)という事の体感理解が生まれている。そうなると礼儀や全力の表現が裏切られても繰り返し務めて、バイブレーション(情熱の精度と量=禁止の発足地点から対象者の禁止の地点迄の全的な計算式)は毎年成長する。ナルシズムに格好をつけて振る舞う事がなくなるし、保身的に形式ばって話す事がなくなる。

次に人情が生まれ、普段導通しているモノとの繋がりを愛から見下ろした事で起こる笑いの抽象度が上がる。つまりユーモアの範囲の行き来が自在になる。形態に対する事物への関係付けのニタニタの笑いではなくなる。