真の幸は、帰依所三宝の成就にあり。
大衆の日常に瑜伽行(題目と本堂)を敷いて、後世まで幸福を運ぶ。
運
運ばれる今に恵まれた状態、是幸福と云う。(時間的持続の詳細は他教学記事参照)
宝
遥か遠くの無限なる遠点(釈迦仏)を全身に宿し、帰依所とする。
妙なる経文を友することを帰依所とする。
現人神(あらびとかみ)への無投影の一念を帰依所とする。
持続を形成する三つの帰依所の力を知る者、是悟りと云う。
言
三宝帰依成就のマントラ
namosalamandarana (南無沙羅曼荼羅那)
ナーモーサラマンダーラーナー
マントラ三唱後、最後にスーヴァーハー。(小生、神仏に帰依し奉らん。光あれ。)もっと簡単に言うならば「布施させたまえ。」「忘れん」という意味。
一日三唱(一回で三唱)。懺悔の百唱。言の葉の力を知る者、是知者と云う。
宗
宗の内に経済ありて斜めに政治あり、宗から一本の流れに経典(学問)あり。是知る者賢者なり。
志
あらゆる衆生の発展(幸)は、三宝の帰依に支えられるという真理。三宝への帰依は日々の瑜伽行(題目と本堂or太陽)に支えられるという真理。後世に幸あれと願って伝播する。名色を残す。是武士と云う。
経
法句経から伝統祖書に真理あり。大衆社会に儒学在り、是れ自然と云う。(大衆凡夫の拠り所は儒学。経に外郭が伴うことを経営と云う)
魂
現象界にて五種の業衆在り。大面(大乗場社会)は絶対他力(三宝帰依)の根付きと、治める者の業衆五種の田植え、是衆場の理と云う。
義
時刻の義理は指切りげんまんにあり、是保護と云う。進みの義理は謝と成長にあり、是友と云う。
追
保護の義理は、敬うべき上座として仕合う。衆場にて、業衆の田植えと上座を被せたらんとすれば、是執著なり。
愚
自分の力でどうこう出来ると思う者、是愚者と云う。
青
力の本性(三宝)を知らぬ若人は念をぶれさせんとする業を帰依所とする。是一定の利と云う。
注釈
念仏はバクティヨーガ。(伽藍化は最低保証。)自宅に本堂(釈迦仏)を置いて感謝。持続との関わりを最低保証にする。
三唱はマントラヨーガ。日の上に立つ音。(三業力の言葉の働き根本性)の力を預かる。
経(法)への帰依はジャニアーナヨーガ。カルマヨーガにて外郭(営)が伴う。
応身帰依はバクティヨーガ成就に必要なグルヨーガ。
発展の意志による行動はカルマヨーガ。(運の現象化。)(名を残すというのは、自分の尊厳から最も離れた後世への贈り物。)
土台の集中力はラージャヨーガ。
カルマヨーガ(発展)に全ては基づくが、三宝帰依なしでは発展させる面が識別が出来ない。全ての衆生との問答では三宝帰依が足りていないという回答が最も正しいが、多くの人はその意味を理解しない。よって問答においては帰謬論証(その人が識別出来る範囲の最大の回答)がその場における最高の徳である。そうこうしている内にする人が出てくる。実際に幸福(苦の展開)を体感するので、現在系でもそこから必ず展開される。
現実的に幸福を運ぶ為の最速とは、(つまり人間主義(自分主義)から三宝帰依まで誘って人を目覚めさせる為の最速とは)超越性の伝播(関心付けと無投影の一念の持続)である。私は超越性を保持するが、大衆はその多くを識別しない。それを具体化してわかり易く提示する必要がある。ヨコの時間落ちてゆく過程で証明(証言)が必要だ。
