四法印

諸行無常(全ての生産地点からの識の生起は無常である。)

諸法無我(一切は俺のモノでは無い。)

涅槃寂静(生産(非行為)の先で悟る。)

一切行苦(一切の生産は苦しみである。)


行とは段々の生産の流れです。これを広義では文化と呼びます。我を捧げる時に非行為(生産)(既に在る行の流れを遡る)が行われます。※忘我は自我発で非行為では無い。


当会で言う「生産」と「非行為」は同義です。(※それを成す行の流れの中の地点は異なる)



ー当会の認識として必要な事ー

※空間維持(社会主義)は進化論(未来)の先の共産論(理想的絶対空間)に根差しているので、現状維持(社会主義のみ)では無理。


※共産論の資産分配の手前の資産形成が抽象性の落下先である。


※生産者は正しい事を言っていたら出て来る。

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伝統文化を守りたい人の当たり前の情緒は、ある人達にとっては、なぜそのような体感なのかは不思議です。

伝統文化に従じたい人は祖国というバシレイア(支配)を体感している人。(行の生産諸関係を程度識別している人)


端的に言えば、疑問に思った事を自己解釈しようとせずに全的にがんばって来た人が支配を体感します。(個人的や労働的では無い全的な努力。)


正しくがんばる(精進)という事は既に文化時間の中に身を置く事なので、その生産諸関係の流れの優しく強い支配を感じます。


これは部活動等の全国大会出場の論理(空間へ向かう社会主義)のがんばるでは体感は出来ません。全的(時間的)な努めなければ、支配を認識する事は出来ません。


団体性(バシレイア、友情から祖国)が分からないのは、空間の中に位置(自己が有る)と定義しているからです。

空間の意識的連環というチームメイトとは異なる生産関係の支配の共有に団体性がありますが、コンプレックスを紛らわす為に野心的(思考的)になった彼らは団体性を認識しません。


認識していないので、その人にとって最も情緒な箇所が、最も情動的な奥が、位置的な(人体の外枠を囲んだ中の話)の範囲になっています。故に自己中心的で、反生産関係的です。


これによって味覚、触覚、視覚の手前に物事があると感じて、自己から事物に関係付け、自ら空間に辟易して、位置をスライドして新鮮さ(空間)を感じるを永遠に繰り返す不仕合わせな人生を歩みます。


「思考は悪い作用」

未来に向けて社会主義的に行動する者未満の人間の思考の全ては形態化です。(社会主義的に労働する際は反思考、反生産の責任従事の真ん中)

思考とは、知性の系の落下です。(生産者は知性的。社会主義者は知性と思考とモノの一致。個人主義者は思考。)


「エントロピー増大は悪い作用」

物事は放っておくと、無秩序、乱雑、複雑な方向へ向かう。熱力学のエントロピー増大とは、これを観測によって限定的に説明している。(思考も知性(生産)の系を除いてはエントロピー増大)


「学問総体とは」

文化の超越的生産、あるいは文化的生産を行わなければ、シチュエーション(情緒と位置(自己)と位置(他者や他の事物)の発足地点からすぐに形態化する。エントロピーが増大の法則は非生産の中では全的適応されるという事。

エントロピー増大の法則を無視する例(生産)とは生命活動。坂道を登るから始まる。労働、文化的生産、文化超越的生産の、生産諸活動の全てがその位置に沿ってエントロピー増大にあがらう。幸不幸とはこの流れに基づいている。


生産地点の集積の流れが「行」であり、この生産地点の集積によって認識の抽象地点(生産地点)が決定する。

生産関係の浮ついた先にある具体的な生産の従事は非現実的な認識に。抽象生産に沿って事物と関係に入れば、現実的な認識になる。(位置(自己)が後発で受が先行、情緒が先行、識別が先行、行が先行している事を忘れている度合いの強さが個人主義。)



「併存空間」

家賃、異性、購買の論理は消費(無自覚によるエントロピー増大)の作用。

ロマンス(個人的願望)

消費にあがらう作用であるエロティシズムが新しいビデオゲーム、新しい職場。変化。


「共在空間」

家賃、異性、購買の論理は消費にあがらおうとするモノとの導通作用。

モノとの導通(社会主義的労働、公私のエンジョイ)の動機は未来の漠然とした絶対空間(友人形成や資産形成、異性関係形成、分配的空間、しかるに本来の抽象性の落下)からの逆算に基づく。


「時間的継起」

労働以上の生産の連続(最大生産即最低生産(千切れていないか、事物と関われているか)によって、未来空間からの現在(進化論的見地)がなくなり、生産における時間継起の中で友人形成(分配)資産形成(分配)異性関係形成(分配)が現実に行われてゆく。関係の中での発展の連続。



併存空間では、所有の概念(ロマン主義)の中に友人、恋人、その他全てが混入される。対立構造の中で、向き合って思考を固め合って誓い、すぐ形態化する。


共在空間では、共通空間(居酒屋、サークル)等の中で知人(友人)が出来て形態化を待つ。


時間的継起では、友人(家族)は出来ない。降って来る。色々降りまくって来る。それをなんとなく体感している者と、体感しつつ明瞭に識別している者に分かれている。


学問は非生産者に生産を分からせるものではなく、生産の存在を社会主義者(共在空間者)に、社会主義者(労働)の存在を、個人主義者(併存空間居住者)を示す作用なので、生産(行)自体を放棄していたら一向に示されているだけで、分かりはしない。(識別しない。)

学問の有効性とは、今まで位置的に捉えて生きて来た自分の愚かさに対するガーンという自覚(反省)作用と、反省によって助走し、認識し得ない分からない跳躍点を実行するという決意の継続のみだけが、既に増大されたエントロピー内に居住する認識にあがらう有効的な作用である。


併存空間居住者は、モノとの導通の最低限(主に味覚、触覚、視覚)から出発して、エントロピー増大の先にある思考との間のギャップで自己の実感が打ち立てられており、周りの生産者の生産的成功を空間内部の位置(個性)と位置(他者)間の向かい合いの成立だと認識しているので沼にはまっている。

これによって目の前の事物全てとの関係が、購入した瞬間、出会った瞬間から消費される。そしてヨコ(新たな空間)に進行する。


本人は味覚、触覚、視覚等の中で三次元立体スクリーンが動いていると錯覚してパノラマを感じているが、実際は味覚、聴覚、視覚、等はモノというのは流体的で、識別する者はパノラマは生産諸関係のいずれかの生産地点から流れているのを流体的に見ている。


コップの中にあるお湯が冷めていく作用とあがらう作用だけで、この世は形成されている。家族も友人も会社も団体性のあらゆる作用はコップの中に有るお湯である。


コップのお湯を温める作用が現状維持(監査的要因)、お湯を注ぐポットが共産論(空間論)(監査的要因)、ポットと台所と湯呑みの生成(発案等の取り組み)が時間(生産的要因)である。


※空間維持(社会主義)は進化論(未来)の先の共産論(理想的絶対空間)に根差しているので、現状維持(社会主義のみ)では無理。

生産者は正しい事を言っていたら出て来る。


年功序列というのは進化論。(クビが実際の段々の生産の帳尻合わせ。)


科学は解するだけなので、どの分割(分野)から入っても終局的には分からない事(先に在る事)を示す役割となって文化(時間)に入る。