妻が亡くなってから、妻に関わるものは極力見ないようにしてきました。妻の死に向き合うよりも目の前の現実に向き合わねば、というのはたぶん言い訳で、見ると気分が落ちるのでずっと避けてきました。
見れるのは遺影だけで、自分で撮った写真はもちろん、人からもらった写真も見ることはできず、妻のスマホに入っている写真もずっと放置したままでした。

ところが、この度娘が修学旅行に行くにあたり、とうとう手を付けねばならなくなりました。

うちは、妻と娘がiPhoneユーザーで、私と息子がAndroidユーザーです(息子もiPhoneでしたが、扱いが雑すぎて壊してしまったため、強制的に激安Androidに移行)。妻がiCloudの50GBを契約しており、30数GBを使って残りを娘が使っていたのですが、旅行前には既に空き容量がほとんどなくなっていました。

ひとつ上の400GBを契約してやれば済む問題ではあるのですが、この先妻が使うことはないことを考えると、容量を増やすよりも妻の写真を整理して容量を空けた方がいいのではないかと思い、とうとう手をつけることにしました。

整理要領で四苦八苦した部分もあり、それほど感傷的にならずに済んだ面もありますが、それでもやはり、久しぶりに見る妻の姿や、妻の目線で見てきたもの、妻と一緒に見てきたものを改めて写真を通して見ると、これまで一緒に過ごしてきた15年間の記憶が次々とよみがえってきました。ただ、意外なことに、辛いだけかと思ったらそうではありませんでした。たしかにもう会えないのは限りなく寂しいし、写真や動画に残っている記憶を共有することができないことは辛いけど、一緒に時間を過ごした事実自体は消えないし、これからもその記憶は大事にしていきたいなというように思えるようになりました(といっても少しだけですが)

今回は、時間がなかったのもあり、ろくに整理もせず片っ端からHDDにぶち込んで終わりましたが、いつか落ち着いたら整理をしながらゆっくり見返したいなと思います。

 

(それにしてもiCloudはAndroidユーザーには使いにくい...)