山梨唯一のプレイバック・シアターカンパニーぶどうの樹代表のみかっちぃです。

私は、障害とはその人自身が障害を持っているのではなくて、その人と環境の間に障害がある。

という考え方が好きです。

環境に障害があって、人に障害がある訳ではないのです。

この世が全てバリアフリーになれば車椅子は障害ではなくなりますもんね。


ヨシタケシンスケさんの「みえるとかみえないとか」って読んだことありますか?

その本の中で、障害者がどう感じているのかという説明が上手いな~と思いました。


地球人が宇宙に行って、目が3つある宇宙人と出会います。

3つ目の目は、後ろが見えるようになっています。

その宇宙人から、地球人は後ろが見えないなんて可愛そう!

うわぁ!歩いてる?!

みんな、避けてあげてーー!

と言われてしまいます。


いや別に目が二つあれば、普通に歩けますけど?みたいに思いますよね。

私達が障害者に対して可愛そう、不便そうと思うのは、エゴなんだと思います。

可愛そうって周りが決めることではないと思うのです。

本人にとって、それが普通の状態で、可愛そうかどうかも本人が決めることで、周りが決めることではないと思うのです。


そういう私も、可愛そうと感じてしまうことはあります。

でも、話し始め、関わりを持てば、そんな思いはあっという間に消えてしまいます。


たぶん日常で関わらないから、差別が生まれてしまうのだと思います。

区別して分けるのではなくて、小さい頃から一緒に過ごして、すぐ隣に自然にいる、そんな状態になれば差別はなくなるんじゃないかな~と思っています。


障害者が支援してあげなければならない可愛そうな存在ではなくて、普通の人間として存在出来る社会を作りたい。


プレイバック・シアターの中では、どんな人であっても等しく平等です。

プレイバック・シアターの場を、日常に広げていくことが、差別のない社会に繋がると思っています。


私の夢は「差別をなくすこと」です。

プレイバック・シアターの場では、差別だけではなく、役割も肩書きも何も関係なく、みんながみんな一人の人間として存在しています。
プレイバック・シアターの場は、深い分かち合いと相互作用の共感で溢れています。
ありのままの自分に、共感してもらえる、受け入れてもらえると、自分が満たされるのが分かります。
その共感に包まれている人は、他の人のことも同じように無条件に共感することが出来るのです。
自分をしっかりと保てているからこそ、他人を受け入れることが出来るのです。

そこには、年齢も性別も障害も、何も関係なく一人一人が、ただの人間として、ただ存在しています。

その場をプレイバック・シアターのワークショップの時間だけでなく、日常に広げていけたらと考えています。
プレイバック・シアターをワークショップから、村という場に広げたいな〜と思っています。
最終的には、その村を社会にしていきたいと思っています。