プレイバック・シアターには、抱えてる問題に対して向き合う力を与えてくれる力があると感じています。


プレイバック・シアターは、ただ話を共感的に聴くだけです。

参加者みんなで、話されたことに対して、アドバイスを出し合って解決に向けて話し合うことはしません。

本当にただ、語られた話をみんなで共感的に聴くだけなのです。

その話が演じられたのを見た感想や、自分が見ていて思い出したことなどを、それぞれ語り合う。

本当にただそれだけです。


それなのに、語った人は、その問題に対して、向かっていこうとする力が湧いてくるのです。

それも、やってやろう!というメラメラした感じではなくて、その問題に対して前を向ける、そのくらいの微妙な心の変化なのです。

なので、何か具体的な解決策が見つかるという訳ではないのです。


なんだ、解決はしないのかと思いますか?

でも、その日たまたま会っただけの人に、あーだこーだとアドバイスされたり、よく知りもしないのに意見されてもあまりいい気分にはならないように思います。

そもそも、たった数時間でその問題の画期的な解決策が見つかる!ということもあまりないように思います。


自分の抱えてる問題に対して、共感的に聞いてもらえる。分かってもらえる。受け入れてもらえる。

それだけで、人はその問題に対して向かっていこうとする力が湧いてくるのではないかと思います。

共感してもらえる。

それだけでいいんだと思います。

その問題を解決するのは、他でもない、その人自身だからです。

誰かが割って入って解決したとしても、それは意味がないのではないかと思います。


人は皆、自分の問題は自分で解決出来る力を持っていると私は思います。

プレイバック・シアターを提供していると、なおさらそう感じます。

自分に解決出来ない問題は、自分の前には現れないとも思います。

その必要があって、その問題がその人にふりかかっているのだと感じます。

でも、その問題を乗り越えるには、ちょっとの勇気や思い切り、考え方の切り替えなど、ちょっとした気持ちの変化が必要なことがあって、そのちょっとした気持ちの変化をプレイバック・シアターは起こさせてくれるのではないかと思っています。

そして、それは意図的ではなく、ごく自然に。

また、本人に不本意な形ではなく、本人が望むだけ。

プレイバック・シアターはとても主体的なので、話したくないことは話さなくていいし、やりたくないことはパスしていいという前提があります。

でもだからこそ、本人に無理のない形で、その人の問題に向き合う力を与えてくれるのではないかと思います。


私はプレイバック・シアターで、苦しんでる人も塞ぎ込んでる人も、少しずつ少しずつ前を向き、その人自身が進んでいく様子を何回も見てきました。

その体験から、人はいくつになっても変われるし、どんな問題であってもその人自身が解決する力を持っていると信じることが出来ます。


私自身も含め、みんな自分らしくいきいきと生きています。


プレイバック・シアターは、人の根源的な生きる力を目覚めさせてくれる、そんな力があるように感じています。