大学の授業でプレイバック・シアターと出会い、その後、引き寄せられるように、同大学の学生相談室主催のプレイバック・シアターのワークショップに全部参加しました。

卒業までの1年半。長期休み以外は、毎月開催されたワークショップに皆勤賞で参加しました。


その中で、私は自己肯定感を徐々にあげていきました。

今だから、その体験が自己肯定感を上げたのだと分かりますが、その当時の私は、自己肯定感のことはまったく知りもしませんでした。


大学の頃の私は、とてつもなく自己肯定感が低かったです。

小学校から中学校まで続いたいじめの体験や、とても厳しく褒めることのなかった両親の元で育った私は、自分で自分を認めることが出来ず、自分を信じることも出来ないので、他人に信頼を寄せることも出来ず、毎日を悲観的に過ごしていました。

友達に毎日のように、死にたいとメールを送り、励まされながら、なんとか生きていました。

高校の進路選択で、自分のやりたいことを見つけられず、何かあったとしても親や先生から否定され、この先の生きる意味を見出せずに、憂鬱な日々を過ごしていました。


そんな私がプレイバック・シアターを繰り返し体験することで、大嫌いだった自分のことを好きになることができ、自分に自信が持てると、他人を信頼することが出来るようになり、そこから、人と会話することが出来るようになったのです。


プレイバック・シアターに初めて参加した時のことは、正直ほとんど覚えていません。

自己肯定感の低さから、人と会話することさえままならなかった私にとっては、その場にいるだけで冷や汗がダラダラ流れてきて大変だったことはよく覚えています。


あと、ふわふわと宙に浮いているような浮き足立だった感覚と、なぜだか分からないけれど、顔がにやけてしまっていたこともよく覚えています。


何を話して、何をしたのかは、さっぱり覚えていません。

ただ、その場にいることがとても心地よかったということはよく覚えています。


何度も繰り返し参加することで、私はいろんなストーリーを語りました。

かわいい妹達に急に抱きつきたくなり、妹達にキモいと殴られるとか、飼い犬をきちんとしつけたいのに、おばあちゃんが甘やかしておやつばっかりあげて困るとか、そんなオチもないただの私の日常のなんでもない話ばかりを話し、みんなに演じてもらい受け取ってもらいました。


アクター(役者)を、したこともあります。

それは、私にとって最大のチャレンジでした。

初めての役は子犬。

セリフも一言しかありませんでした。

それでもストーリーが終わる頃には手汗でビッショリでした。


特に何をした訳ではありません。

ただ、自分の日常を語り、誰かのストーリーの一コマを演じただけ。

ただ、それだけのこと、それだけのことなんですが、私はこの経験で、大嫌いだった自分自身のことを好きになることが出来たのです。


それは、プレイバック・シアターの持つ共感力だったのだと思います。


プレイバック・シアターでは、否定されるということはありません。

どんなストーリーであっても、またプレイバック・シアターの中で行われるどんなワークであっても、否定されるということはないのです。

全てを受け入れてもらえるのです。

えっ?そんなこと感じるなんておかしいんじゃない?という否定や、それはこうすればいいんだよ!というアドバイス、そういったものは、存在しません。

ただ、語った人のストーリーをそのまま演じて分かち合い、共感する。

ただ、それだけなのです。

でもだからこそ、みんなに分かってもらえた、共感してもらえたと語り手は全身でみんなに受け入れてもらえた感覚を受け取るのです。

カウンセリングでも、共感的に聴いてもらうことは出来ます。

でも、その場に参加している人達全員に共感し、受け入れてもらえるというのは、とてつもない回復力をもっています。


私は、ただ自分の話をその場にいる人達に、聴いてもらい共感してもらった。

ただそれだけのことなのですが、その経験から自己肯定感を回復することが出来たのです。


でも、プレイバック・シアターの持つ共感力は、それ程に高いものなのだと思います。


その後もプレイバック・シアターを続けていくことで、他人への信頼や、会話が出来るようになっていきました。その経緯は、またの機会に。