私とプレイバック・シアターとの出会いは、大学の講義です。

プレイバックシアターSOZO座の代表小林京子さんのグループアプローチ論という講義の中で、プレイバック・シアターと出会いました。


当時の大学の授業のほとんどは講義式で、ワークショップで展開される授業に驚くばかりでした。

グループの人達と何かを作り上げ、対話を重ねることで進行していく授業。

先生が話すよりも、自分が話したり友達が話すことが多い授業。

そんな授業は体験したことがなかったので、とても新鮮で私にとって初めての体験でした。

ただ、恥ずかしさもMAXでした(>_<)

普段の授業では、良くも悪くもただ教授の話を聞いて板書していればいいだけ。でも、この講義では自分が意見を言ったり、みんなで何かを作り上げたり、さらには、みんなの見てる前で演技も披露しなくてはならなかったのです。

人前で話すどころか、友達との会話もままならなかった私にとっては、随分挑戦的な授業でした。

でも、どんな意見であっても、どんな表現であっても決して誰かに否定されることはありませんでした。

いわゆる「ダメ出し」はまったくされませんでした。

ただ、ただ、肯定的に受け入れてもらえました。

その体験は、私にとても不思議な感覚を与えてくれました。


夏休みの集中講義だったので、3日間の15時限をみっちり、集中して同じグループの人達といろんなワークを続けてきました。

ワークが終わると必ずグループシェアの時間がありました。

ルールは一人一言ずつ。

どんな意見でも肯定的に聞くこと。

その中で、普段は発言することを躊躇する私も、一人一言ずつ話す場が与えられたので、自然と自分の考えを伝えることができました。また同じグループの人達に対して、私のことを受け入れてくれる人、そんな思いを抱くようになっていきました。


この講義で初めて会った人達。

たまたま学籍番号で振り分けられただけのグループ。

なのに、講義が終わる頃には、昔からの友達のような、なんでもお互い知ってる幼馴染のような、なんでも許しあえる仲間のような、不思議な感覚をお互いに対して抱いていました。

でも、3日前に会ったばかりの人達。

なんでこんな不思議な感覚になるのでしょうか?


それこそがプレイバック・シアターのもつ治癒力そのものだと思います。


もしも、自分の考えや行動を周りの人達に肯定的に受け止めてもらえたら、どう感じるでしょうか?

私はここに居ていいのだと、自分のことを肯定的に受け入れることが出来るのではないでしょうか?


反対に、自分の考えや行動を周りの人達に常に否定的に捉えられたとしたら、どう感じるでしょうか?

私は何をしてもダメだと悲観的になってしまうのではないでしょうか?


私は小学生から中学生まで続いたいじめと、しつけに厳しく褒めることのなかった両親の元で育ち、自分で自分を認めることが出来ず、悲観的になっていました。

いわゆる自己肯定感の低い状態です。


そんな私が、自分のことを認めてもらえる、受け入れてもらえる。

そんな体験は人生初だったのかもしれません。

グループの人達を前にすると、くすぐったいような恥ずかしさはありますが、普段よりも楽しく会話が出来たことを今でも覚えています。


「心地よく会話をする」

普段当たり前にしているようで、意外と出来てないこともありますよね。

自分の考えや想いを、何にも脚色されることなく、ただただ溢れてくる想いを自分の言葉として伝える。

そして、それがその場に居る人達に、ただただ受け入れてもらえる。

たったそれだけのことですが、私達はその体験から自分はここに居ていいのだと感じ、生きる力を得られるのではないでしょうか。


プレイバック・シアターは、誰かのストーリーを共感的に聴く、ただそれだけのことなのですが、でもだからこそ、高い治癒効果が得られるのではないかと思います。