大阪の実家に帰ってきて6日。

今日、栃木に戻ります。


先週、母が救急車で運ばれたと連絡がありました。


外出中に足がガクガクになって

動けなくなり、

電柱に捕まっているところを

親切な通りがかりの人が

救急車を呼んでくれたらしい。


結局ミオクローヌスという

一過性の筋肉の痙攣の症状だったようですが、

原因は複合的でよく分からず…

でもまぁ何とか歩けるから退院ね、と

3日で退院になりました。


退院した日に大阪へ向かったのですが…

1センチくらいずつしか歩けない

自力で着替えようとすると20分くらいかかる

入院中の記憶が明らかにおかしい

(認知症?せん妄?)


前もそうだったのですが、

退院後はQOLがぐっと下がるので

家族はショックを受けますね。


特に、記憶がおかしくなってくると

このまま何も分からなくなってしまったら

どうしよう、と不安になります。


「病室の向かいの人のところに

 お見舞いに来たお孫さんが

 窓から屋根を飛び移って遊んでた」

 (孫は忍者?)


「病院で、二晩連続で宴会があった。

 どうやら部長さんが栄転するらしい。

 冷蔵庫にはビールがたっぷり

 冷やされていて、

 盆踊りが面会スペースでされてたみたい」

 (なんとめでたい病院!)


帰って早々、

めちゃくちゃな記憶を聞かされたから

悲しそうな顔をしている自分に気づいて

はっと、表情を戻しました。


でも…経験すると、

慣れるというか、

少しずつ、受け入れるように

なってくるんですね。


以前観た映画を思い出して

私は母と「長いお別れ」をさせてもらっているのだと

思うようにしたら

悲しい気持ちが少し減りました。



何日かすると落ち着いてきたので

入院によるせん妄だったのだと

思うのですが…


認知症についての本を

家事をしながら聞いたら、

母の症状をもう少し受け入れることが

できました。



80を超えると、大なり小なり

認知が衰えていく。


忘れたり、思い違いをしたり、

時間や場所が分からなくなったり、

段階を踏んで、周りの人の

顔も認知できなくなっていく。


結局はその衰えと、

体の衰えとの、バランスなんですよね。


でも、その衰えはマダラで、

時間や日によって違うのだと

長谷川先生は自分が認知症になって

初めて分かったのだそうです。


それが分かってるのも

だいぶ大切だな。



この1週間、

母が起きているときはそばにべったりいて。


よく寝るので

寝ているときに原稿書いて。


少し落ち着いた頃に、

午後からお暇をもらい。


大阪にいるビジネスパートナーの梨那さんに

隔週でzoomでやってるミーティングを

リアルでやりたいな、って声かけたら

その後美味しい洋風おでんやさんに

連れて行ってくれました。


梅田に出たら必ず行く

ルクアの蔦屋に寄って目に止まった本を買ったので、

帰宅後ハーゲンダッツを食べながら

美しい言葉に癒されていました。


大掃除した方がいいよなぁ

服の整理もしたほうがいいよなぁ

とかいう気持ちに蓋をして

自分を甘やかしてながら

母との時間を過ごしました。


今日は、母のスーパーケアマネさんと

今後の相談をしっかりして、

先生の往診があってから、

帰ることにします。


母は、日替わりで来てくださる

ヘルパーさんたちのことが大好きで、

入浴に来てくださった方の顔を見たら

すごい笑顔になって

手を振っていました。


精神薬のおかげもあるのですが、

今回はとても穏やかで

不安に押しつぶされそうなときに比べて

記憶がヘンでも

ずっと幸せそうです。


私が着ていた、基子さんの

パリコレ応援パーカーを見て

「うわぁ!かわいい!

 こんなかわいいの見たことない!」

って目を細めている母は、

10才の少女のようでした。



ほんと、年老いた親は

身をもって子どもに

老いていくことを教えてくれるんですね。


なんかしんみりしちゃった。



こういう時間も

親との大切な時間なんだな、

と思える6日間でした。