男の唇 ⑱ | 明鏡 ーもうひとつの信義ー

明鏡 ーもうひとつの信義ー

韓国ドラマ『信義ーシンイー』二次小説

小刻みに震える脣を求め合う
そんな夜を何度も迎え
小さな誤解にお互い背を向け眠る夜もある

「ヨボ」

たった二つの言葉の抑揚で貴女が
今考えていることを思う
白い指先を無骨な手で包みこみ

「俺がついています」

だからどうだというのだ
それでもどうにもならぬ事がある
しかし貴女には俺がいると思っていただきたいのです

「大丈夫」

潤んだ目で脣を震わせてそういうが
一つも大丈夫じゃないだろう
それでも俺を安心させようとするのだ
数歩普段と変わらぬように歩き
柱の影に隠れた途端その手で口を覆い声も出さずに泣く

「ヨボ・・・ヨボ・・・」

微かに貴女が俺を呼ぶ声がした気がする
俺は一体何をしているのか
貴女を泣かせることしかしていない

深い溜息が口から漏れ出た



全てが終わる瞬間は誰にでもくる
寧ろ俺は待っていた
最後に願い事ができるというならば
俺の願いは一つだけだ

「貴女を元の場所へ」

今更だろうか
堪え性のない俺は
きっと又貴女を攫いに行っちまうかもしれない
それでも貴女はいつものように
「待っていたわ」といい微笑んでくれるであろうか
全てが無になるという長い長い時を過ごしたとしても
俺は貴女を見つけるまできっと探すだろう
雨が俺の頬に落ちた
渇き切った脣に最後の雨の滴がポタリと流れこんだのを
俺は受け止めることはなかった

真っ暗な世界に一人放り出された
針の穴ほどの明かりが目の前にある
「これが冥府という処か」
亡者はあの光の穴を求め歩き彷徨う
大昔、寝れない俺をいつもテソンが嗜めた
「坊っちゃま、目をとじるのは怖い事ではありませぬ」
「テソン」
「ちゃんと目が覚めますよ、朝を迎える喜びを人は求めるのです」
朝を迎える喜びとはあの頃は何だと思っていた
「朝を迎えて貴女がいない事を確信する苦しみは耐え難かった」
俺はもう光など追うものかと座り込んだ
ひんやりともしない床に座っていたとしても何の苦痛もない

ー待っているぞー

かすかに男の声がした
「誰が待っていると言うのだ」
物音一つしない空間で聞こえた空耳に俺は呟いていた

ー己の目で見るがいいー

やはり男の声は聞こえる
俺は立ち上がった
あの光のあるところに俺を待っている者がいる
「まさか・・・あの方が」
老いて歩くのもやっとの足を摩り一歩一歩と引きずりつつ前に進む
一歩歩く毎に足は軽くなり、歩みは早くなる
光が拳ほどになる頃には俺は駆け出していた

「隊長、待ちました」

その光の真正面に立っていた数人の男が俺にそう言うのだ
逆光になり顔は全く見えない

「チュソクは、先にいきましたよ」

ほんの僅かに横を向いた大柄な男が俺の顔を見て言った
目尻はたれ笑う顔が懐かしい

「トクマン、お前」
「隊長。隊長が、最後にあんな事を願うから俺達は待たねばなりませんでした」
「俺が何を言った」
「此れだから隊長は・・・何とか言ってくださいよ。プジャン」

逆光で顔が見えなかった男は、手を伸ばしゆっくりと近づき

「隊長、医仙様を元の場所へと願ったではないですか」
「チュンソク、お前。ああ・・・確かに」
「医仙様だけをお一人返すのですか?」
「まさか」
「隊長が来てくださったので、次は私の番です。あとしばらくは此処でお待ちを・・・」

なんと都合のいい俺のさめない夢だ
「夢と思わないでください、私達は次の新しい闘いに向かうのです」
チュンソクは鼻の頭を指先で掻きながら光の中へ消えて行っちまった