女の唇 <Second story ⑩> | 明鏡 ーもうひとつの信義ー

明鏡 ーもうひとつの信義ー

韓国ドラマ『信義ーシンイー』二次小説



ちょっとは恥ずかしい思いをしたらいい

ドンソクは俺に向かって呟いた
一体何を考えているのだ
暫くすると食堂から姿を消した
俺はやらかしそうなドンソクの様子が気になり兵営の中を探した

「まさか」

夕餉前に湯を浴びるとユ将軍は言っていた
覗き見るという訳じゃないだろう
俺は小走りに湯殿へと向かった
大体男が使用する湯殿だ、扉に鍵などない
例えジュノを扉の前で見張らせたとしても
あのドンソクの恫喝に耐えれるかどうか

「やめてくれ、女にしちゃいけねえ事があるだろう」

こんな時はどうしてこの狭い兵営が広く感じるのか




「いいか湯殿を開けたら着替えを盗んで逃げるんだぞ」

俺は幾ら卑怯と言われてもいい
こんな将軍を送ってきた王様が悪い
こんな辺境の兵士でも皆男だ
女の下で仕えるのは御免だぜ
しかもあんな郡主が着るような衣で俺達を馬鹿にした

「裸で兵営の中を彷徨えっていうんだ」
「ドンソク、いいのか」
「俺が良いっていうんだ。隊長の面子もたつ」
「そうですね、別に毟り取ろうっていうんじゃない」

湯殿の前にジュノがいるのは想定内だ
アイツ一人くらい俺が突き飛ばしたならひとたまりもない
足音を立てずそっと近づいた
姿が見えなきゃどうしようもないだろうユ将軍さんよ

「はぁはぁはぁ」

誰だ、静かにしろよ!
声を立てたらあの女に気づかれちまうじゃないか
「誰も声など」
俺は湯殿の前に赤い影を見た
「なんだアレは」
大きな赤い虎が前足を枕に眠っているんだ
「誰が引きこんだ、いやあの女魔妖を使ったな」
そんな子ども騙しで俺達を欺こうなんざ十年早いぜ
「気にするな、アレは幻だ」
「ほっ本当か」
「見てみろよ、透けて見えるじゃないか」
確かに赤い虎の背後が透けて廊下の奥が見えていた
俺は気にする事なく湯殿に近づいた
すると寝ていた虎がむくりと顔をあげた
此方を向いた顔は、口が耳まで裂けている
一瞬だがニヤリと笑い、目があった
そこからは素速かった
後ろ足で床を蹴り前足で逃げ出そうとした俺達の背に乗る
「此れは幻だ」
しかし獣特有の怒り爪が背に突き刺さった
もう少しでも俺が動けばきっと深く刺さり血が噴き出るだろう
耳元で息遣いがする
生臭い息とだらり落ちる涎・・・喰われる

「何をしている、お前達」
「隊長、来ちゃいけない」
「なんだ其れは」
「とら・・・虎・・・喰われちまう」
「待っていろ、俺が」

剣を抜こうとした時ドンソクにのりかかっていた虎が俺に向かって駆けてきた
俺は剣を構え真っ正面から振り下ろした
頭を割る事はできなくとも致命傷はあるだろう
しかし虎は剣をスルリと交わし俺の真後ろにいた
「どうやって」
怒り爪が肩に突き刺さる
敵にやられる前に、兵営の中で虎に襲われるとは

「とらちゃん、遊んでないでしっかり見張りは?」

湯殿の扉を開けてユ将軍が出てきた
小さく「がぅ」と声をあげそのままユ将軍の足元へ走る
ユ将軍の足元に纏わりついたのは小さな猫

「見てもね、面白くないわよ。私のなんてバカね」

濡れた髪を手拭いで拭きつつ這いつくばったままの俺の横を通り過ぎた
ぬるい湯がユ将軍の髪からポタリと落ちた
「虎は何処へ行っちまいましたか」
ドンソクはやっと立ち上がり俺の傍に歩いてきた
俺は両手をついて立ち上がった
その時には髪を拭きながら歩いているユ将軍の足元に猫の姿は無かった

「化け物ですよ、あの女」
「馬鹿か、お前が面倒な事を考えるからだ」

俺は虎の怒り爪がささっていた肩に触れた
確かに赤い虎が俺の肩に爪を刺し滑った涎が落ちた
幻にしてはあまりに生々しい
肩に触れた手をゆっくりと手を伸ばした
触れた肩はしっとり濡れおり、粘液がだらりと落ちた

「嘘だろ・・・」

何者だあの女
都には内功使いがいるとは聞いた事がある
手から火を出す女
遠くの音が聞こえる男
水を手足の如く動かす女
手から雷を出す男
しかし虎を出す女は聞いた事がない

「あら、龍も出せるわよ」

ユ将軍はニヤリと笑い振り返った
まさか心の中も読めるのかアンタは

もう誰もアンタの側に寄りはしない
女ならまだしも人でもない
妖魔使いだから将軍になれたというのか
いや、昼間見たさ
アンタの実力を
弓矢も切り落とす俊敏さ
マ・ドンソクを投げ飛ばす力
誰も此処では敵いはしない

「厄介だ」

噂はあっという間に拡がる
これでは勝てるものも勝てやしない
せめて裸で泣いてくれさえしたら良かったものを