3月11日。8年前妊婦だったわたし。。 | 声を伝える 小百合のブログ

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2011年3月11日。
あまり語りたくなかった、この日のこと。。

聞かれると話すけど、
できるだけ明るく話をしていました。。
聞いてくれる優しい気持ちを、そのまま受け取りたかったのもあると思います。。

でも、
長女が大きくなって
学校でも避難訓練をしたり
当時の話をきいたりして
私よりはっきり話そうとする姿をみて、
なんだか苦しくて、、

あぁ、、癒えてないんだって、、気づきました。



あのとき、
気が狂うほどに怖かった。。
怖すぎて思い出したくなかった。。


宮城にいる家族も無事だったんだから、いいでしょう。
たしかにそう、、
でも、私の恐怖心は 癒えでいなかったんですね。。



地震があったあの時間、
私は妊婦健診で当時住んでいたところの近くの
産婦人科にいました。

血液型がRH(-) であることがわかって
サポート体制が整う 日赤病院に転院することに決め、
先生に紹介状を書いてもらう為に 待っていたときでした。

(転院しなければ、私は帰宅しようと外に出ていたと思います)


地震直後、産院の大きなテレビに いきなり宮城の津波の映像が流れ、
私はパニック状態で泣いていました。。
近くにいた妊婦さんと寄り合って
「実家の近くです…」
やっとそんなことを話した気がします。


おそらく、地震から一時間はそのまま産院にいました。
(その時となりにいてくれたママとは今も友達で、今は台湾にいますが そんなご縁もありました。)




当時、、
東京都内に知り合いはいても
近所に友達はいなくて。。

夫もいつ帰ってきたのか覚えていないくらい たぶん遅かったのかな。。
たまたま東京に向かう新幹線の中で地震にあった姉と弟が 
その日のうちに 私がいる家に来てくれたことが 救いでした。。

もう一人の姉はカナダにいて、、無事でした。

父はたぶんメールがきて、、。

母と連絡が取れたのは
翌日おそくでした。



震源地近くに住んでいた方
津波に襲われた方
家がなくなった方

親戚が宮城県に多くいて
父が転勤族だったこともあって
知り合いも多くいます。



その方たちのことを考えると、、

私の恐怖心とかつらさは
これくらい たいしたことない ものでした。
命があって、家族が無事で、
お腹の赤ちゃんも元気で。。





地震から何日かして
姉と弟が宮城に帰りました。。
安定期だったとはいえ、妊婦だったのでよけい情報不安定で、、
もう少し東京にいて欲しかったけど、、
東京で調達出来る物資を届けるという意味でも
姉が早く帰りたがっていたので

まもなく姉と弟は宮城に帰りました。。


*☼*―――――*☼*―――――




そんな、3月11日の思い出でした。。



いまここまで書いて
やっとやっと
だいじょうぶ になってきました。。

私が自分の恐怖心と辛さを認めたら、
同じようなことがあった人にも
寄り添えるんですね、きっと。。


無理しないで
そうしてあげて良かったんだなぁ。。


お母さんなんだからって、、
よけいがんばろうとしてたかなぁ。。
はぐはぐだね。。



あの日おきた事実は、かえられないし
戻ってどうこうできることでもない。
でも、
当時の気持ちもなかったことにしなくていい。

なくそうとしても、なくならなかった、恐怖心。。
それをわかってほしかったのは、
やっぱり自分でした。。

たくさん泣いたらいい。
人と悲しみの度合いを比べなくていい。
悲しいものは悲しいんだ って
自分でわかってあげたらいいんだね。





2011年3月11日の私に
ありがとう🍀*゜
今は、そんな気持ちです。。



読んでくれてありがとう✨


小百合🍀*゜