さあ喪明けだ!歌って踊ろうアマノイワトin東京 | 声を伝える 小百合のブログ

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声優活動、場内アナウンスのこと、
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年末と年始と
仁さんのライブに参加しました✨


すっごーーーーく、楽しかった❤


楽しすぎていつも以上に記憶がアレですが…笑笑



今回はアマノイワトライブ ファイナルということで、
大阪でも歌わなかった 愛情 を歌ってくれたんです🌸
愛情 は、長女が仁さんのうたの中で1番好きな歌。。





嬉しく聴いていたら、
実家の母を思い出して 涙が止まらなくなりました。

今回帰省すると、
母はとっても穏やかで 私たちを迎えてくれました。

私がほとんど実家に連絡しなくなってから一年半くらいかな。

(お母さんに何言われても 罪悪感でやりたいことをやめない。をやってみるためにもお盆とお正月は帰省はしてましたが…。)


今回は嘘みたいに楽しく会話できて。。
ちょっとなんだから意味がわからないくらいでした。
今もほんとにわからない。
とにかく連絡しなかっただけ。



母は懐かしそうに
子育てしているときが
1番楽しかったなぁ!と
言っていて。。

私を出産したときが、一番ラクだったー!
て。。何度も聞いた話を また繰り返してました。

産院のマッサージ機に乗ったら産気づいて
すぐ出てきたと、この話は実家では有名な話。。

…私生まれた時から
やっぱりホントにホントに愛されてたんだね。。

「あらぁーーーー、お母さん大変だったねぇ。年末に生まれてねぇ。」
私の誕生日を知ると、決まって大人はそんなことを言いました。言ってたの。たぶん本当に。。
なぜそっちを信じたのか。
「んだよぉ!!」てお母さんが言ってたから、、なんだねぇ。「ほんとにねぇ」て、笑いながら言っていたのに。
笑いながら…
笑いながら…
て、本気じゃなかったんだね。。そっちを信じちゃったんだねぇ。。

4歳上の姉と年子の姉とわたし。
それはそれは大変だったと思う。。
でも、その時が一番幸せだったなんて、知らなかった。。

私が小学二年生の時に弟が生まれて、可愛くてしかたがなかった。。いつもいつも男のそばにいたかった。

でも弟が大きくなってくると、弟がうらやましかった。当時はその気持ちにも気づかなかったけれどね。。
弟には、小学6年生までサンタさんがいたから。。
私は小学3年生でサンタさんはおわり。って言われて。。とっても悲しかった。
仲のいい友達がサンタさんを信じていたから、6年生まで合わせていたから、よけい悲しかった。。

それなのに、弟の夢をこわさないように、私は協力してて。
サンタさん、くるんだよ♡たのしみだね♡って。

昔のわたしにハグハグだなぁ。。🍀*゜




今。
今ならわかる気がする。
サンタさんと親の愛情は関係ない。。


ことある事に、たくさん心配してくれていたのも
愛でしかないんだなぁと、なんだかそう思えました。


母が、私の声優活動に興味がなくみえるのは、わからないから。なんだね。
そんなことよりも何よりも、
いつも身体の心配をしてくれる。。

身体に気をつけてね。
風邪ひかないように。
あったかくしなさいよ。って。

姉弟のなかで1番病院に行くことが多かった私。。
入院も。。
だからよけい心配なのかもしれない。。
だから、仕事よりも何より、元気でいてほしい。
それだけかもしれない。



今朝はとっても冷えた東京。
乾いたかぜで、耳までいたくなりました。
私は、自転車の前に座る次女の耳に、冷たい風があたるのを和らげようと、手を伸ばしました。
自分の耳も冷たくて痛かったけれど、私の手は娘の耳にのびていました。
愛情なんだなぁって、母を思い出しました。。

あとで私の耳もあたためました♡




お迎えは、耳あてもっていこう。。




長くなっちゃった。。
書いてるうちに、たくさん思い出しました。



読んでくれて、ありがとう✨✨✨



あったかくして過ごそうねぇ🍀*゜



小百合