ずっと観たかった「ゴジラ−0.1」に行ってきた。それも長女と一緒に。
還暦を過ぎた昭和30年代半ば生まれの私は根っからの怪獣映画世代である。「ゴジラ」をはじめ「ガメラ」、「大魔神」などの映画や「ウルトラマン」の前身「ウルトラQ 」からの特撮ドラマによって鍛えられた叩き上げの怪獣世代だと自負している。
そこでこの度の「ゴジラ−0.1」は神木くんと浜辺さんのダブルキャストだから観に行くしかないと思っていた。そこに持ってきてアカデミー賞の視覚効果賞受賞となれば絶対に行こうと決めていた。しかしなかなか行く機会がらなかったところだったが、たまたま帰省中の娘をダメ元で誘ったところが、意外にも快諾。めでたく鑑賞することになった。
出かける前に息子から、Amazonプライムで5月から無料で観れるよと言われたが、やはり大画面の迫力には代え難く予定通り行くことにした。
映画館の車いす席事情
映画館にはたいてい車いす専用の席が設けられておりスクリーンのそばにあることが多い。せっかく用意してもらってありがたいのだが、広い画面を視野の中に収めるのは難しく、おまけに2時間ずっと顔を上げていると首が痛くなってしまい決して観やすい席とは言えない。なので最近は車いすを降り座席の背もたれにつかまって同行の家族の力を借りながら段になった床をよじ登り少しでも上に座るようにしている。映画館もその辺のところを配慮して新しく作る場合は障がい者も鑑賞しやすい設計にしてもらいたいものだ。
ゴジラ対応に思うこと
前置きが長くなってしまったがここからが本題になる。ネタバレも含むのでこれから観ようとしている人はこの先は読まない方が良いだろう。
何年か前の「シン・ゴジラ」もなかなか良いと思って観ていた。あれは現代に怪獣が現れたとしたら政府をはじめとする自治体の危機管理はどのようになるのだろうかという発想のもとに作られた作品だった。震災を経験したばかりの日本人は、なるほどこうなるかと感心しなが観たのではないだろうか。情報統制や迅速な対応、プロフェッショナルな人材を集めたプロジェクトチームによる攻撃方針の策定。最新の科学と自衛隊の機動力を駆使した作戦。現代考えられる技術が網羅されていてなかなか面白かったと記憶している。
しかし今回の舞台は終戦直後の日本である。コンピュータも最新兵器もない時代にどう立ち向かうのか。その象徴的な場面があった。ゴジラを海底に沈める作戦で使われた深度計がなんとアナログであった。昔数をカウントする際に用いた「数取り器」を思い浮かべてほしい。現代ならさしずめデジタルの緑色に光った数字が目まぐるしく動いていくであろう。
しかし映画ではゴジラが沈んでいくと同時にロープが伸びていくのに連動して、窓の数字が勢いよく回っていく様が当時の技術力の結晶のように感じられ感慨深かった。当時にしてみれば「最新式」の仕組みであっただろう。ストーリーの流れとともにそういうところに目がいってしまうのは歳のせいか。
もう一つが主人公神木くんが乗り込む戦闘機である。劇中で「震電」と紹介されたプロペラが後ろについている戦闘機である。
昔プラモデル屋で見た記憶があったがまさにそれだった。プラモデルの箱に「日本海軍が試作した幻の戦闘機」という文が読めるが、占領下の日本では全ての戦闘機が米国に接収されてしまい、試作機が奇跡的に残っていたという設定である。ゼロ戦にしなかったところにリアリティが感じられた。よく練られた脚本に脱帽。その機に乗ってゴジラめがけて「特攻」するという作戦である。
その後の結果は伏せておくが最後のどんでん返しにホッとしたのは私だけだろうか。
それにしても視覚効果賞を獲っただけあって特撮の出来栄えも満足のゆくものだった。ハリウッド映画にも引けを取らないと心底思った。予告編で目にするシーンは極々一部分で、すごい場面はたくさんあると断言できる。
いずれにしてもよくできた映画だと思った。「シン・ゴジラ」も良かったが、還暦を超えた私には「ゴジラ−0.1」に軍配が上がる。あと2週間待てばプライムビデオで見られることは分かっていても、やはり劇場の大スクリーンと迫力ある音を体験できたことは大きい。3Dならなおさらであろうが、何度も両手で顔を覆って観ていた娘にそこまで強いることはできなかった。怖いのに付き合わせて悪かったと詫びたところ、面白かったから大丈夫だよと言われて安堵した。
心踊る映画を娘と鑑賞できた喜びはプライスレスであった。