本当は明日が本当の記念日。
父と母の結婚記念日。
40周年。
赤の他人と40年を過ごす。
子を3人育て、日々を過ごし、今日に至る。
途方も無いようにも感じるし、あっという間に過ぎたようにも感じる、両親と過ごした時間。
自分がこの年になったということはそれだけの時間が流れたということ。
北海道にいた時から感じたのは、あと何回一緒に正月を過ごせるのかなという、年1回だけのお正月のこと。
北海道にいた時夏に地元に帰ってきて、母方の祖母に会った。
歩くのも大変になっていたけど、認知症とかにはなっていなくて、帰り際にパワーを入れてほしいと言われたのを恥ずかしさからそんなこと私がしてもと断ったのだ。
それが祖母に会った最後になった。
その秋、早朝に父から連絡がきて、祖母が亡くなったと知らされた。
今は思い出しても後悔しかない。
あれは、温かさに触れる最後の機会だったのに。
生きた体があるうちにしか触れられない温もりがある。
亡くなった時の冷たさは、死をまざまざと突きつけられる。
温かさを冷たさで上塗りしたくなくて、葬儀で祖母に触れることはなかった。
それもまた私の弱さなのだろう。
今でも思い出せば、ごめん、という後悔。
両親も老いる。
触れる、手を握る、抱きしめる、ということはあまりない文化圏や習慣として、亡くなった時に「がんばって生きたね」と触れるのは、そう、あまりにも寂しい気がする。
なので、手くらい握ってもいいんじゃないかと思っているけどなかなか上手くいかない。
恥ずかしいし、不器用だ。
高校生の時に飼い始めた猫も2021年4月に亡くなった。
もっと触れ合っておけば、もっと可愛がっておけば、そんな後悔がいくつもある。
いつかそんな日が来るのはわかっていても、わかっていなかった。
本当に死んでしまうんだ。
死という別離。
感傷的になることが増えた。
いくらがんばってもきっと後悔はいくつも生まれるのだと思う。
でもその中で、今こうしたら後悔しないという方を選びたい。
葬送のフリーレンを観ながらさらに感傷的になった。
録りだめてた葬送のフリーレン観ていたら泣けてきて。
書き綴ってもきりがない、感傷的な話。